常勝カープのドン マツダと重なる苦難と再起
松田家4代の100年(1)
企業と創業家――。歴史を重ねるに伴い、両者の関係は変わる。99年前、広島でマツダを起業した松田重次郎(1875~1952年)の一族は苦境期に会社の中枢から離れ、その後地元プロ野球球団の経営に専念。一時は資金難で存亡の危機に立たされたが、生き残りを懸けた独自の戦略が実を結び、今では「常勝球団」と呼ばれるまでになった。
「松田家」不屈のDNA
苦難と再生の道のりは、リーマン・ショック後に乾坤一擲(けんこんいってき)の低燃費エンジン「スカイアクティブ」で復活を遂げたマツダに重なる。苦難に際してもあきらめない松田家の不屈のDNAがカープだけでなく、マツダにも息づいている。
5月22日、広島市のマツダスタジアム内にある広島東洋カープの球団事務所。執務室のソファで向かい合った社長兼オーナーの松田元(68)は、普段と変わらぬ穏やかな笑みを浮かべていた。
前夜、広島県三次市の「三次きんさいスタジアム」で行われた対中日戦。3対2の僅差で逃げ切って8連勝となり、開幕直後を除き初めて首位に立った。シーズン当初は低迷し、4月7日から10日間以上も最下位に沈んだ。誰もが思い浮かべた不振の原因は、昨季まで2年連続でMVPに選ばれた外野手、丸佳浩(30)のフリーエージェント(FA)宣言と巨人への移籍である。
去る選手は引き留めない
「負けが込んでいた時に改めて『惜しかった』と感じたのでは」と松田に尋ねると...
新幹線で夜間に広島駅を通過する時、照明に浮かび上がる広島市民球場の臨場感に心奪われた人も多いだろう。常勝球団「広島東洋カープ」の東洋の名は、地元自動車メーカー・マツダの旧社名に由来する。同社の創業家、松田家4代にわたる広島人経営者の波瀾(はらん)万丈の人生を追う。