進む再開発 小学校跡地、大大阪の面影
時を刻む
大阪市のミナミとキタの繁華街にあった小学校の跡地が話題の建物に姿を変えつつある。中央区難波の精華小学校跡地は家電量販店エディオンのなんば本店になり、北区曽根崎の大阪北小学校跡地には現在、56階建てのタワーマンション・ホテルが建設中だ。いずれの建物にも昔の校舎の面影を残す外壁や施設が設けられ、学びやの記憶を伝えていく。
間もなく開業するエディオン本店の建物東側は、黄土色の壁面にアーチ状の窓、焦げ茶色の枠のシックな照明が取り付けられ、ガラス張りでスタイリッシュな他の部分とはかなり違うデザインになっている。これらは、1929年(昭和4年)に建てられ閉校まで使われていた精華小の校舎をイメージしたものだ。
街づくりと一体
建物1階には学校のメモリアルルームも設けられ、昔をしのぶ写真パネルなどを展示する予定。校内にあった桜の木もいったん別の場所に移して養生した後、敷地に植え直された。
児童の減少で精華小が閉校したのは95年。一等地にありながら戎橋筋商店街に隣接するため開発が難しく、大阪市が建物を小劇場や学習施設として活用。2013年に売却された後もホテルや飲食店が入る複合ビルにする計画が出て消えるなど、曲折をたどった。
「建物の外観や記念室の設置だけでなく、電柱の地中化など街づくりを考えた地元の要望を受け入れてもらった。南北方向の戎橋筋、東西方向の南海通りとは違う斜め方向の新しい通路が生まれ、人の流れが変わるのでは」。難波三丁目東振興町会の徐正莱(じょ・まさらい)会長は期待する。
大阪都心部の小学校は開校時や施設整備に地元が土地や資金を提供した経緯があり、閉校後も活用を巡って地域の意向を聞いてきた。売却・再開発に際しても学校の歴史を伝えるなどの条件をつけている。
市が財政悪化で未利用市有地の処分を加速させても、そうした制約があったためか、閉校後の売却、再開発整備までに時間がかかったケースが多い。閉校から学校敷地の土地売却までにかかった年月は、堂島小(閉校1986年)が24年、梅田東小(同89年)が22年、愛日小(同90年)が17年、東平小(同91年)が13年となっている。
大阪北小は曽根崎小と梅田東小が1989年に統合して生まれたが、18年後の2007年、閉校に。14年に住友不動産に売却された敷地では現在、22年春の完成を目指して梅田地区最高層のビル建設工事が進む。
1階にはお初天神通り商店街と連続性を持たせた商業施設や祭りにも使える広場、2階には地域住民らが使うコミュニティー施設などが設けられる。低層部の外観は曽根崎小の建物の面影を感じるデザインにし、学校にあった石碑を1、2階に再配置するという。
再興の夢託して
「曽根崎は戦後、地元の有力者が多額の寄付をして幼稚園を再開させた経緯がある。小学校は夏祭りや節分祭の休憩所、選挙の投票所などに使われてきた地域の拠点。開発事業者にそうした機能の重要性を理解してもらえたのはよかった」。曽根崎連合振興町会の羽田清彦会長は語る。
明治初期に創設され、百年以上の歴史を誇った精華小、曽根崎小には共通点がある。大阪を代表する繁華街にあり、商店や飲食店などを営む家庭の子どもが多く通学していたことだ。
校歌の出だしをみると「大大阪の中心地 商店街に庭しめて」(精華小)、「大大阪の扇のかなめ 北の玄関梅田の里に」(曽根崎小)と、ともに「大大阪」という言葉が登場する。時を経て生まれ変わる跡地の巨大施設は、大阪が輝いていた「大大阪」の時代の夢を引き継げるだろうか。
(堀田昇吾)
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