平成の日本野球 ガラパゴス化に拍車かけた統一球
野球データアナリスト 岡田友輔
5月1日、令和の時代が始まった。平成の30年で野球はどう変化したか。この機会に考えてみたい。
野茂英雄が海を渡ったのは1995年(平成7年)。以来、多くの日本人大リーガーが誕生し、2006年(平成18年)には米大リーグ(MLB)による国別対抗戦ワールド・ベースボール・クラシック(WBC)も始まった。メジャーとの交流が進み、日米の距離は大きく近づいたようにみえる。
しかし、野球の質に目をこらせば、日米の違いはむしろ広がったともいえる。そのきっかけは11年に日本で導入された統一球だ。当時、日本のボールは概してMLBより飛ぶとみられていた。国際舞台で活躍できる真のスラッガーを育てるため、球場ごとにバラバラだった使用球をひとつにし、ホームランの安売りをなくそうというのが導入の狙いだった。
■手に余る代物だった「飛ばないボール」
スケールの大きな選手を育てようとの理念は間違っていない。しかし日本の選手にとって、「飛ばないボール」は手に余る代物だった。
導入直前の10年、1本塁打を打つのにかかった平均打席数はMLBの39に対し、日本は40.2と同水準だった。ところが統一球が導入された日本は11年が65.8、12年が70.4と急上昇。極端な投高打低が進み、ロースコアの競り合いが日常になった。
そこで何が起きたか。ガラパゴス化というほかない「スモールボール」への偏重だ。バントや進塁打、機動力を駆使して1点をもぎ取り、僅差リードを守り抜く。そうしたことにたけた器用な選手の起用が増える一方、スラッガータイプの出番は減った。長距離砲を育てるための統一球が、逆の結果を招いたのだ。
長い目で見ると、野手が小粒になるのは投手のためにもならない。多少の当たりではフェンスを越えないとなると、投手は三振を狙わなくなる。空振りを取れる直球や変化球を磨く必要性が薄れ、彼らのレベルもおのずと下がる。その後、ルールで定められた下限以下の球が混在していたことが分かった統一球は2年で廃止されたが、投手が楽をできてしまう環境は続いており、当時の後遺症が残っているといえる。
■MLB追いかけるため長距離砲育成を
一方、同じ時期のMLBは統計に基づく知見の普及などを背景に、「ビッグボール」への志向を強めていった。長打力の重要性が共通認識となり、いまや下位打線でもフルスイングが主流。17年には30.4打席に1本の割合で本塁打が出るほどになった。18年は33.1とやや出にくくなったが、日本の38.2とは依然として開きがある。
MLBでは長打力を増した打者と競うように投手も進化を遂げた。10年、打席数に対する三振の比率は日米とも18%だったが、18年は日本が19%、MLBが22.3%と差がついている。
結論からいえば、日本は国際基準に合わせるよりも、身の丈に合ったボールを使う方が望ましいと私は考えている。いくらかゲタを履かせようとも長距離砲を育て、疑似的であろうとも本塁打の出やすい環境を作るべきだ。長打が増えれば、それを防ごうと投手のレベルも上がり、球界全体の底上げにつながる。短期決戦の国際大会は突出した投手が数人いれば、勝てるチャンスがある。日本が誇る「スモールボール」は接戦に持ち込めてこそ強みとなる。前提となるパワーやスピードが違いすぎては出る幕がない。
意外かもしれないが、平成初期や2000年代前半には米国以上に日本で本塁打が出ていた時期がある。最近は長打の重要性が再認識されるようになり、今年は19歳の村上宗隆(ヤクルト)が頭角を現している。清宮幸太郎(日本ハム)、安田尚憲(ロッテ)らもいずれ主力になるだろう。新たな時代、彼らが大輪の花を咲かせることを期待したい。