東京流出 企業も人も、関西復権の条件は
4月中旬の昼下がり、多くの利用者でにぎわう新大阪駅に就活生の姿があった。黒のスーツに身を包み、やや緊張した面持ちで改札の向こう側に消えていく。デザイン関係の企業を志望する京都出身の女子大生(21)は「関西に残りたいが、企業が少ないので東京に行かざるをえない」と言い残し、東京へ向かった。
大阪で国際博覧会(万博)が開かれた1970年代の前半までは多くの人が仕事を求めてやってきた関西。いまやその存在...
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