陸上王国から元気発信 元陸上五輪代表 小林祐梨子さん(もっと関西)
私のかんさい
■陸上競技の女子1500メートルの日本記録は4分7秒86。2006年、小林祐梨子さん(30)が須磨学園高(神戸市)の3年で出した。「スーパー女子高生」と呼ばれた小林さんのダイナミックな走りを育んだのは、兵庫県小野市の豊かな自然だ。
家の周囲はめっちゃ田舎で一面田んぼ。4つ上の兄、2つ上の姉がいる末っ子で、両親、祖父母の7人家族で育った。祖父母は畑もやっていて、ごはんもそうだが、純和風な家だった。
幼い頃はずっと外で遊んでいた。田んぼやあぜ道を走り回り、日焼けで真っ黒。今思えば、走るのが速くなったのはスポーツではなく、遊びのおかげ。つま先着地の大きな走りは、たんぼ道で身についた。
そろばん、ピアノを習い、文化系の一面も。小野市はそろばんの一大産地なので、地元では必須の習い事。関西の小学生らしく、土曜昼のテレビ「よしもと新喜劇」も楽しみだった。
■兵庫県は陸上競技のレベルが高く、中学から陸上を始めた小林さんは優秀な指導者に恵まれ、めきめきと頭角を現した。
小学校では6年間、校内マラソン大会で1位だったが、走ること以外は本当に笑えるぐらい苦手で、球技も全くだめ。でも、長距離を走るのは自信があった。
6年生の00年、高橋尚子さんがシドニー五輪のマラソンで金メダルをとった。県大会すら知らないのに「8年後、20歳でオリンピックに行く」と卒業アルバムに書いた。中学で陸上部に入った当初は練習がきついと思ったが、監督に目標の持ち方や、時間はどう使うのか、というノウハウを教わり、意識が変わった。
中学3年で全国大会の800メートル、1500メートルで優勝したが、記録がぐんと伸びたのは2年生の春。冬の苦しい練習を越えると、全国大会に出られる選手になっていた。頑張りが数字に表れるのがうれしく、すごく楽しい競技だと思った。
■高校でも記録を伸ばし、08年北京五輪に5000メートルで出場、夢をかなえた。年末年始の都大路を走る駅伝でも活躍し、その見事なまでの「ごぼう抜き」は今でも語り草だ。
陸上が一番楽しかったのは高校時代。同じレベルの仲間がいて、一つ一つの勝ちに喜びがあった。12月の全国高校駅伝で須磨学園が優勝したのは、2区で20人抜きをした3年生の時。1年で3位、2年で2位と1つずつ上がり、ドラマのように金銀銅を全部とった。
1月の都道府県対抗女子駅伝は中学2年で初出場。お姉さんランナーと一緒に03、04年と兵庫県の2年連続優勝を経験した。09年の大会では2区で29人抜きを達成し、翌日に成人式を迎えた。この時は逆に中高生の選手から、攻めの走りを思い出させてもらった。
兵庫県は陸上王国と呼ばれる。駅伝や国体でつける兵庫のゼッケンは「28」。皆、この番号に誇りを持っていて、私も捨てずに全部とってある。陸上関係者の車のナンバーは「11.28」が多い。2本の1に28を続け「日本一、兵庫」と呼ぶ語呂合わせだ。
■故障が原因で15年に現役を引退。実業団時代の拠点、愛知県から関西に戻り、結婚、出産も経験した。今はテレビ、ラジオへの出演、各地のマラソン大会のゲストランナーなど、忙しい日々を送る。
戻ってきて安心したのは、テレビから関西弁が聞こえること。街で会うちょっとお節介で元気なおばちゃんも好き。私もばりばりの関西弁なので。ゲストランナーは全国どこでもOKと言っているが、関西からの誘いが多く、先にスケジュールが埋まっていく。
沿道の声援も関西は親しげで楽しい。最近感じるのは、頑張りすぎず楽しむ、生涯スポーツの良さ。私自身、関西の元気な人の代表でいたいと思うので。21年には関西でワールドマスターズゲームズが開催される。世界から訪れる人々に、元気な関西を感じてもらう手助けをしたい。
(聞き手は大阪・運動担当 影井幹夫)
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