熊本地震3年「復興の力に」 県内各地で追悼、誓い新た
関連死を含めて273人が犠牲となった熊本地震は14日、最初の震度7を観測した前震から3年を迎えた。熊本県庁では県主催の追悼式が開かれ、遺族らが犠牲者の冥福を祈った。「前を向き、復興の力になりたい」。鎮魂の祈りをささげた被災者は、今なお途上の生活再建への誓いを新たにした。
追悼式の会場となった県庁地下の大会議室には、白い菊の花などで埋められた祭壇が置かれた。午前10時に始まった式冒頭、遺族や自治体関係者ら参列した約350人が一斉に黙とうした。
蒲島郁夫知事は式辞で「最愛の人を失った遺族の皆様の気持ちを察すると、3年の歳月が経過してもなお悲痛の念に堪えない」と哀悼。「喪失感の中からも県民は前を向いて懸命に立ち上がった。改めて県民の総力を結集し、災害に強く、夢や希望にあふれる新たな熊本を築いていくことを誓う」と決意を語った。
妻のフミヨさん(当時79)を本震で亡くした南阿蘇村の増田敬典さん(81)は遺族代表として献花台の前に立ち「悲しみは尽きませんが、亡き妻のためにも、微力ながら復興の力になりたい」と声を震わせた。
追悼式に参列した遺族らも一様に大切な人に祈りをささげ、再起を誓った。
「位牌(いはい)に毎日手を合わせて涙の出ない日はないです」。本震で長女の高田一美さんを亡くした南阿蘇村の郷テルミさん(83)は涙ぐむ。気さくな性格で花好きだった一美さんは、仕事帰りにテルミさんのために花を買ってきてくれることもあった。
テルミさんは現在、大津町の仮設住宅に住んでいるが、5月の連休明けには南阿蘇村立野の自宅に戻る予定だ。一美さんが好きだった花を「いっぱい植えたい」と楽しみにしている。
御船町で農業を営む持田武久さん(78)は本震で妻の哲子さんを亡くした。「優しくて心が大きい人だった。心の支えだった」と振り返る。3年をへて「つぶれた家を復興しないといけないし、農業もある。いまは忙しいですね」と前を向く。
仮設住宅で過ごしてきた人たちも3年を機に前を向き始めている。
「やっと仮設の生活にも慣れてきたかと思ったら、あっという間だった」。4人の子供を育てる主婦の河端季代子さん(34)は、6月にも益城町の木山仮設団地を出る予定だ。異なる地区に新居を構えるため、子供たちが通う学校や保育園も変わる。「さみしい思いをさせるかもしれない」と不安げだが「震災から町並みも変わり始めた。新しい一歩を踏み出したい」と力を込めた。
「孫娘の友達に会いに来ました」とほほ笑むのは同町の農家、坂本貴美代さん(64)。去年8月に2年間住み続けた木山仮設団地を離れてからも、仮設のお花見イベントなどにちょくちょく3歳の孫娘を連れて顔を出す。「地震で失ったものも多いけど、ご縁もあった」と笑顔を見せた。