「パラリンピックの父」の娘が託す、日本へのバトン
マセソン美季
パラリンピック発祥の地は、イギリスのロンドン郊外にあるストークマンデビルという小さな村。そこにパラリンピックの父と呼ばれるグットマン博士の功績を称える「ナショナル・パラリンピック・ヘリテージセンター」が設立された。3月末にあった開所式に私も出席した。
式典の冒頭、「私の父は、ヒトラーから英国への贈り物だったと思っています」とあいさつしたのは、グットマン博士の娘、エバ・ローエフラーさん。ナチス政権から医師の資格を剥奪されたグットマン博士一家は英国に亡命。まだ幼かった当時のことを回想しながら、家族のエピソードを交えたスピーチに、多くの人が耳を傾けた。
彼女にとってパラリンピックの思い出は、選手たちの練習の手伝いにさかのぼる。アーチェリーの的に刺さった矢を抜いて選手に届け、卓球の練習ではこぼれ球を拾った。試合を終えた選手たちにビールを届けたこともあるという。一番うれしかったのは、1976年トロント大会での出来事。重い障害で言葉を発することができない選手が、一生懸命文字盤を使って、「君のお父さんは素晴らしい人だ」と伝えてくれた。
会場で、60年第1回ローマ大会で英国に金メダル第1号をもたらしたマーガレット・モーガンさんの話を聞く機会もあった。69年にこの村に整備された陸上競技場をエリザベス女王が訪れたこともあるそうだ。彼女の名札には、大英帝国勲章受章を示すOBEの文字があった。
史上最高の大会と称される2012年ロンドン大会で、エバさんは選手村の村長を務めた。巨大スクリーンに映された父の姿は、とても誇らしくまぶしかった。8万人の観客が、英国代表の義足のスプリンターに割れんばかりの大声援を送る姿を見て、感慨無量だったという。
私が日本人とわかると、エバさんは「パラリンピックムーブメントを広めて、後世に伝えてください」と固く握手をされた。グットマン博士が亡くなった時、最初に届いた弔電は今の天皇皇后両陛下からで、日本には特別な思い入れがあるという。受け取ったバトンを、しっかり受け継ごうと心に誓った。
1973年生まれ。大学1年時に交通事故で車いす生活に。98年長野パラリンピックのアイススレッジ・スピードレースで金メダル3個、銀メダル1個を獲得。カナダのアイススレッジホッケー選手と結婚し、カナダ在住。2016年から日本財団パラリンピックサポートセンター勤務。国際パラリンピック委員会(IPC)教育委員も務める。