関西 音楽のあふれる街に 指揮者 大植英次さん(もっと関西)
私のかんさい
■世界的指揮者の大植英次さん(62)は大阪フィルハーモニー交響楽団の桂冠指揮者を務め、年に5回前後関西で公演する。エネルギッシュな指揮が人気で公演は常に完売に近い状態。自ら立ち上げた企画を拡充し音楽の力で関西を盛り上げる。
音楽の楽しさを知ってもらいたい。オーケストラには多様な楽器があり様々な奏者がいる。良い奏者ばかりをそろえても良い演奏にならない。違いを認め合い心を一つにすることが大切だ。関西、特に大阪はおおらかな人が多く、人や物を広く受け入れてくれる。失敗しても笑い飛ばす文化もある。良い音楽が生まれる条件がそろっている。
世界から見ると、関西が日本の中心に見える。地理的に中央に位置し奈良や京都に都があった。都を意味する畿を含んだ「近畿」「畿内」といった言葉は今も使われる。江戸時代の大阪は商都で武士は少数派。帯刀した人が少なかったことから自由な精神が育まれ、町人文化が花開いた。
そんな関西を音楽があふれる街にしたい。この思いで2006年に自ら立ち上げた企画が「大阪クラシック」と「星空コンサート」だ。大阪城周辺を会場にした星空コンサートは12年に終了したが、大阪クラシックは13年間続いている。関西ではほかに大津市、尼崎市などでタクトを振っているがもっと増やしたい。
■御堂筋全域が会場になる「大阪クラシック」は関西の秋の音楽イベントとして定着。13年間の公演数はのべ1041、観客動員は60万人近くに達する。
「敷居は低く、格調高く」がコンセプトだ。市役所、カフェ、オフィスビルなどに大フィルの奏者が三々五々ちらばる。多くは無料で有料でも1000円程度だ。17.18年は能楽の人間国宝、大槻文蔵氏の監修で能を採り入れた公演も行った。私も白足袋で橋掛かりから本舞台へすり足で歩いた。今後は文楽や上方歌舞伎などに広げていきたい。
様々な出来事も良い思い出だ。演奏前に赤ちゃんが泣き出し男性客が「しっ」と言った。赤ちゃんOKのルールを説明すると、男性客が母親を最前列に案内してくれた。私が公演から公演の移動で開演に間に合わず、スタッフの携帯を舞台のマイクにつなげ「お待ちください」とやったこともあった。観客の若い夫婦から「ここで隣り合わせになったのが出会いです」と言われた時はうれしかった。
■桐朋学園大学在学中に渡米し故バーンスタインから薫陶。欧米の楽団で実績を上げる。03年、故朝比奈隆が生み育てた大フィル音楽監督に就任する。
大フィルを初めて聴いたのは1970年代前半。朝比奈先生が指揮する近衛秀麿版ベートーベン「交響曲第3番《英雄》」を聞き、すごいと思った。95~96年に志願した阪神大震災チャリティーコンサートで大フィルを指揮することに。公演後に「大フィルを大事にしてほしい。よろしく頼みます」と書かれた先生からの手紙を受け取った。
02年、朝比奈先生の四十九日法要が終わったころ、大フィル事務局から突然電話が入った。「音楽監督になってほしい」。先生の手紙を思い出し「やるしかない」と。大フィルを指揮する時はいつも先生の思いを胸に刻んでいる。
■00年、独ハノーファーの楽団を率いてハノーバー国際博覧会(万博)に登場。コンサートを最高の演奏で成功に導いた。
指揮者の不文律に政治、宗教、人種に触れないというのがある。だからこそ音楽には平和をつくる力があり、音楽があふれる街に争いはない。万博は平和を発信する場にふさわしい。25年の大阪・関西万博で世界に向けて音楽を奏でたい。
大切にしている言葉に「im possible」がある。「不可能」ではない。mとpを区切り、I'm possibleと読む。「自分は何でもできる」「音楽は不可能を可能にする」という意味だ。大阪は不可能を可能にする夢の街であってほしい。
(聞き手は大阪社会部 浜部貴司)
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