カンボジアに高級マンションはまだ早い
カンボジアの首都プノンペン。中心地から西に10キロメートルのところで大型の高級マンションプロジェクト「ボダイジュ」が進む。富裕層向けのマンション(1戸1000万~2500万円)が立ち並ぶ開発地に足を踏み入れると、いまどの国にいるのか分からなくなる。
■1000戸分譲を計画
プロジェクトを手がけるのは日本の不動産会社、クリード。6棟の高層棟を建設、1000戸のマンションを分譲する計画だが、土地を仕込み始めたのは2013年8月のことだった。「この国は猛烈な成長期にある。富裕層がどんどん増えている」。社長の宗吉敏彦はそう判断、リスクの高い用地取得に踏み込んだ。
土地の話を持ってきたのは宗吉の10年来の友人。00年ごろ、宗吉がまだ東京で急成長を遂げているときに「何かアジアで社会貢献したい」とカンボジアに学校を建設したのだが、それを手伝ってくれたのが縁だった。
その友人は内戦のなかを生き抜いてきた男だった。ポル・ポト政権時代、命が危なくなり自転車の荷台に弟を乗せタイに逃れようと試みたが、国境で見つかり兵隊に押し戻された。地雷原を戻っていくとき、撃たれた弾が首をかすめた。とても熱かった。何とか生き延び、建設業界でそれなりの立場を持っていた。そんな男だった。
■出店頓挫が影響
その友人が「ムネヨシだけに言うのだが……」とささやいてきた。マレーシアの大手デパートチェーン、パークソン・ホールディングスが空港の近くに出店するという。その証拠に友人は自分が持つ空港近くの土地をパークソンに売却していた。
早速、宗吉は動いた。友人の言葉をうのみにしたわけではない。ただプノンペン国際空港の目の前だし、スーパーができるならば間違いはない。合わせて2万3千平方メートルの土地を取得、高層マンション6棟を建設する大型プロジェクトに乗り出したのだった。
狙いは半分、正しかった。経済成長の波に乗り、宗吉が取得した土地の価格は2倍に跳ね上がった。しかし、スーパーはできなかった。パークソンがスーパー建設に必要な資金が確保できなくなってしまったというのがその理由だった。工事はとまり、くいを打ち込んだだけで何の整備も進まない土地がむき出しになったままだ。
「もしもスーパーが計画通りできていれば……」。悔いてみたところで意味はないと分かりつつも宗吉はそう思うこともある。それほどボダイジュ・プロジェクトは苦労した。15年8月販売を開始したが、売れたのは最初の半年だけ。好調なマーケットに中国資本がなだれ込み、供給過剰状態に。パタリと売れなくなり、販売を任せていた販売代理店はさっさと手を引いた。
無理もなかった。カンボジアの大卒の初任給は月200~250ドル(約2万2000~2万7500円)。1000万円超のマンションを購入できるのは富裕層のなかでもごく一部だ。市場(マーケット)の吸収力は限られている。
だが、諦めるわけにはいかなった。土地は買ってしまっている。在庫の山を放ってはおけない。販売網の再構築で切り抜けるしかなかった。1つは国外、そしてもう1つは国内、この2つの販売ルートの整備に宗吉は乗り出した。
とりわけ国外は中国と台湾の投資家に照準を絞った。責任者にシンガポール人を置き、そのうえで中国を5つのエリアに分割、それぞれのエリアで最も強い販売エージェントを洗い出すことから始めた。「中国は都市が違えば国が違うようなもの」。エージェントの選び方次第で売れ行きは大きく違う。宗吉も現場がどんなエージェントを使うのか自らチェックしながら販売ルートを構築し直していった。
こうした努力が実を結び中国人投資家に少しずつマンションは売れていった。そして18年9月までに完成した3棟のマンションはほぼすべて完売、20%程度の利益率も確保した。「胃の痛いときもあったが、富裕層向けのビジネスがいかに難しいかよく分かった」と宗吉。今後、開発していくことになっている残り3棟については計画を見直し、富裕層ではなく中間層向けの商品に切り替えていく方針だ。
確かにボダイジュ・プロジェクトの失敗は痛かった。しかし同時に市場の大きい中間層向けのビジネスを組み立てていくことの重要性を宗吉に痛感させたのだった。
=敬称略
〈シニアエディター 前野雅弥〉
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