淡路島出身・照強が新入幕 春場所の主役狙う
1月の大相撲初場所を最後に横綱稀勢の里が現役引退し、今も心に穴が空いた思いの好角家は少なくないだろう。その穴を埋めるべく、新たなヒーローとして台頭することが残された力士の務め。新時代の出世競争で躍進が期待される一人に、阪神大震災が起きた1995年1月17日に兵庫県で生まれた照強(てるつよし)がいる。
東十両筆頭で臨んだ初場所で8勝7敗と勝ち越し、春場所(3月10日初日、エディオンアリーナ大阪)での幕内昇進を果たした。2月25日に大阪市内で記者会見した照強は、東前頭14枚目に自身のしこ名が書かれた番付表を見て「実感が湧いた。うれしい気持ちがこみ上げてきた」と語った。
力士の大型化が進む一方とあって、身長169センチ、体重116キロの小兵はかえって異彩を放つ。ただ、体格の不利を持ち前のスピードで補い、2018年夏から5場所連続勝ち越し中。前みつをつかんでの寄り、投げのほかに、最近は「足を取ったり、猫だましをしたりといろいろやってきた」。
幕下に上がるまでは飛ぶ鳥を落とす勢いだった。12年春に17歳1カ月で幕下に昇進。平成では貴乃花(当時貴花田)、稀勢の里(同萩原)に次ぐ3番目の年少記録だった。だが、そこから十両に上がるまでに5年近くを要した。「幕下までは早かったが、そこから先、体負けすることが多かった」と師匠の伊勢ケ浜親方(元横綱旭富士)。
今より軽かった当時、他者との体格差を少しでも埋めようとひたすら食べた。食事の席は第二の稽古場とばかりに「自分を追い込んだ」。この"猛稽古"やトレーニングで体重と筋力を増やし「押す力が強くなった」ことが、17年初場所の十両昇進、今回の新入幕の主因だろう。
24年前の1月17日。早朝に関西一円を襲った大地震の余震が続く夜、震源地に近い兵庫県の淡路島で照強、本名・福岡翔輝は生まれた。南あわじ市の小学生の頃に相撲を始め、中学時代に全国大会で好成績を残しプロ入りを決断。15歳で伊勢ケ浜部屋に入門した。
照強のしこ名は、師匠が「被災者を明るく照らすような強い力士に」との願いも込めて付けた。「そういう人たちのためにもいい相撲を見せられたら」と照強。10年の初土俵が春場所なら12年の幕下昇進、18年の十両復帰も春と「準ご当所場所」には何かと縁がある。そして今回の幕内昇進。地元の後援者やファンが多く集まる中、「荒れる春場所」の主役に躍り出ようと今や遅しと初日を待っている。
(合六謙二)