すまじきものは……(大機小機)
かつて我が国には「高級官僚」なるものがいた。今でいう国家公務員総合職試験の合格者である。「主として政策の企画立案等の高度の知識、技術又は経験を必要とする業務に従事する係員」として国の隅々までを見渡し、明治以降の我が国の繁栄の原動力となった。政治家にも、彼らに広い裁量権を与えつつ最後の責任をのみ込むだけの器を備える者たちがいた。高級官僚は、その専門知識の高さのみならず品位と矜持(きょうじ)が求められ、社会的尊敬を集めていた。
それがどうしたことか、今や連日テレビに映し出されるのは、統計不正問題に携わったとおぼしき厚生労働省や官邸の幹部公務員に対する詰問の風景である。国家公務員の最高位である事務次官に対する処分も相次ぐ。文部科学省の前川喜平次官や戸谷一夫次官、財務省の福田淳一次官の引責辞任に加え、経済産業省の嶋田隆次官の厳重注意など、枚挙にいとまがない。
一体いつからこうなってしまったのだろうか。
原因は、官邸主導の行き過ぎによる、官僚を細かく管理するマイクロマネジメントではないか。官僚らは、自分たちの裁量権の範囲だと思っていた事柄でも、後から官邸から批判されるのを恐れるようになった。あらかじめ官邸の意向を探ることに腐心する忖度(そんたく)文化をつくり上げ「器の小さな役人」に成り下がった。一方で、官邸との関係が近い官僚は「官邸が、官邸が」を連発して権力を振るい、「なんでもカンテイ団」と揶揄(やゆ)される。
山本五十六連合艦隊司令長官は「やってみせ、言って聞かせて、させてみせ、ほめてやらねば、人は動かじ。話し合い、耳を傾け、承認し、任せてやらねば、人は育たず」との言葉を残している。こうしたリーダーの言葉は組織の文化をつくり、その文化が組織を動かす。
統計不正のような事件は本来なら、しかるべき職位にある官僚がその職責に対する高い誇りと責任感を持って職務にあたっていれば、起こりえなかったはずである。本質的な問題は、政府の「組織文化」の弱体化である。
民間企業では、その組織文化が衰えると不正が頻発し、破綻に至る。日本政府には「すまじきものは宮仕え」の組織文化に傾いてもらいたくないものだ。
(万年青)