育成に普及、教育… 今こそ部活をバージョンアップ
FIFAコンサルタント 杉原海太
中学や高校の課外活動として行われるスポーツの部活動、いわゆる部活は日本独特のものだ。その学校の生徒なら基本的に誰でも参加でき、競技の普及という面で大きな役割を果たしてきた。この部活というプラットフォームをバージョンアップできたら、日本の社会を変えるくらいのインパクトがあるように思う。
中学生が放課後にスポーツを行う場所をリサーチすると、日本のように主に学校でやる国もあれば、ドイツのように地域のクラブでやる国、米国や英国のように学校とクラブが併存する国もある。割合でいえば、部活中心の日本は少数派に入るようである。
■日本のスポーツに最適なのは…
中学、高校の部活で比べた場合、米国はほぼすべての学校に運動部はあるものの、入部のためのトライアウトなどがあって、ある種の精鋭主義を採っていると聞く。その先には奨学金を手にしてアメリカンフットボールやバスケットボールの強豪大学に進み、最終的にはプロ選手になるという夢がある。
一方、英国の部活はそこまでぴりぴりしていないらしい。サッカーなら将来有望なタレントはクラブのアカデミー(育成組織)に吸い取られるから、残った生徒たちによる部活はどうしてもサークル的にならざるをえないのだろう。
その点、日本は学校の部活から五輪の金メダルを狙うようなアスリート、ワールドカップに出場するようなサッカー選手を普通に輩出する。そうした部活は必ずしもエリート主義を採らず、大勢の部員で構成されている。来る者を拒まないハードルの低さは競技の裾野を広げ、大所帯の中で多種多様な人間にもまれることは人格形成に資する教育的効果もあるとされる。
日本の部活のユニークさは(功罪両面あるが)、こうやって選手の育成と強化、普及と教育という、ありとあらゆる要素がてんこ盛りになっていることだろう。
いうまでもなく、部活には部活の、クラブにはクラブのよさがある。それぞれのメリットとデメリットを因数分解ではないけれど、教育、選手育成と強化、普及と振興など、ありとあらゆる角度から検証し、どうすることが日本のスポーツにとって最適なのか、答えを整理することは非常に重要だと思っている。
普及と振興の観点からすると、プラットフォームとしての部活は"最強"ではないか。学校の中に校庭や体育館という練習場があって、誰でも望めばすぐにスポーツに触れられる。学校の中という"閉じた空間"で暴力的な指導等のゆがんだ行為が発生することもあるが、そこだけを取り上げて、部活自体を「悪」と全否定するのもおかしな話だろう。
そうした諸問題は、教員以外の優秀な指導者を外部から招請するなど、部活を開いた形にしていくことで十分に改善していけると考える。
部活をめぐる議論がややこしいのは、スポーツと体育と武道という部活に入り込んだ要素のそれぞれの、目指すものが微妙に違うところにある気がしている。
個人的な見解を述べれば、スポーツの根底にあるのはエンジョイだ。楽しいことは時間を忘れて没頭できるように、試合や練習に夢中になって、気がついたらうまくなり、体が丈夫にもなっている。あくまでもプロセスを重視し、あれこれ思案し工夫するのが楽しい。よいプロセスはよい結果を生む。それがスポーツだと。
体育は「ザ・教育」という感じ。そこには勝つことを至上とする考えが入ってくる。先輩と後輩、監督と選手といった縦の関係も重視する。模範的な選手像はコマンドに忠実で遂行能力の高い、昭和の時代に企業が欲しがったような人材がイメージされる。
武道は勝ち負けをも超越し、ひたすら道を究めんとする求道者のイメージ。精神修養的な色が濃く、広い意味での人間教育に通じるところがある。
部活の在り方を議論するとき、このような認識のギャップが特に世代間で相当あると感じることが多い。ある人はスポーツを、ある人は体育を、ある人は武道的な発想を土台に好き勝手に論じるために、議論がまったくかみ合わないというか。裏返せば、日本の部活はスポーツも体育も武道も、いろんな要素を混在させて、ずっと歩んできてしまったということなのだろう。
■日本の未来を変える可能性も
「部活のバージョンアップ」といっても、実際にやるとなったら相当難しいことはわかっている。しかし、2020年に東京で開催される五輪とパラリンピックは、スポーツと体育のギャップを是正する絶好の機会という気持ちが私には強くある。世界中からやってくる、いろいろな競技のアスリートとじかに触れ合えば、現在のような競技軸が強すぎる議論から、さらに前に一歩進めるのではないか。部活を建設的にバージョンアップさせる好機にできるのではないかと。
東京五輪・パラリンピックを契機にスポーツ系、教育系、ビジネス系、いろいろなバックグラウンドを持った人が、今よりもっと日本のスポーツをよくするための議論に加わる。そして学校を基盤にした日本型のスポーツクラブを発展させる道を探る。それは日本の社会のすべてに関わる話になるだろう。社会人の働き方改革にも、新しい時代の文武両道の議論にもなる。部活を、スポーツを通じて子供の未来を考えること。それは日本の未来を変えることにつながるだろう。
22日に明治安田生命J1リーグが開幕する。Jリーグは26年前、企業スポーツと学校スポーツが幅を利かせる日本のスポーツ界に一石を投じる形でスタートした。部活以外の選手育成のやり方があることを示すために、Jリーグに参加するクラブはアカデミーの所有を義務付けられた。サッカー界は部活とクラブが共存する形で26年間、独自の実証実験を重ねてきたといえる。
個人的に惜しいと思うのは、その実験の成果が、ややもすると「部活VSアカデミー」という分かりやすい構図にはめられること。どちらが選手育成のやり方として優れているかが、日本代表に送り込んだ選手の数などで比較されたりする。
そういう競技軸の強い議論ではなく、部活とクラブの両輪で大いなる実験をした唯一の競技として、Jリーグには新しい挑戦をしてほしい気がする。たとえば、地域の特性に応じてアカデミーを持たないJクラブがあってもいいのではないか。その代わり、地元の中学と高校にコーチを派遣し、そこを全国大会に出られるようなチームに育てる。それができたら、Jリーグが標榜する立派な地域密着であり地域貢献だと思う。開かれた学校とJクラブのウインウインな関係。それは新たな時代の先駆けになるのではないか。