助っ人大量採用の今…いでよ、第2のブライアント
編集委員 篠山正幸
2軍暮らしから、ひょんなことで日の目を見て、プロ野球の歴史を変えた外国人選手がいた。ラルフ・ブライアント(近鉄)。1988年のシーズン途中、中日から近鉄へ移籍し、翌年の優勝に貢献した。外国人の大量採用時代となった今、2軍で暮らす多数の選手のなかから、第2のブライアントが出てこないとも限らない。
たくさん外国人をかかえておけば、何人かは当たるだろう、というわけでもないのだろうが、各球団とも人数を増やしているのが昨今の傾向だ。
巨人が10人(育成選手を含む)、ソフトバンクが8人(同)、広島、阪神が7人、といった具合。少ない球団でも5人は抱えている。
出場選手登録は4人までと決まっており、漏れた選手は2軍で出番を待つことになる。
この中には昨季、ウエスタン・リーグで打撃三冠王となった広島のアレハンドロ・メヒアのような選手もいる。外国人枠の関係もあって、1軍では22試合の出場で44打席のみだったが、他球団からすれば「使わないなら、うちにください」といいたくなりそうな選手だ。
ほぼあり得ないことではあるが、広島が何かの間違いか、メヒアのような選手をくすぶらせておくのは球界全体の損失と判断し、トレードに出したら、それこそ第2のブライアントになるかもしれない。
■中日の2軍から近鉄で花開いた大砲
ブライアントの件を少し説明した方がいいかもしれない。
80年代。近鉄には84年の来日以来、打率3割をマークし続けていたリチャード・デービスという好打者がいた。だが、88年シーズン途中、大麻を所持していたとして逮捕され、退団した。
主砲の穴を埋めるべく近鉄が獲得に乗り出したのが、ウエスタン・リーグで対戦し、一発長打の魅力がある、と見込んでいた中日のブライアントだった。
当時の外国人の1軍登録枠は「2」で、中日には抑えの郭源治と主力打者のゲーリー・レーシッチがいたため、ブライアントの働き場はなかった。近鉄は金銭トレードで、ブライアントを獲得した。
ボール球を振らないよう「我慢」を説いた中西太コーチらの指導もあって、88年は74試合で34本塁打をマークした。伝説のダブルヘッダーとなった「10.19」のロッテ戦に勝ちきれず、優勝を逃したが、黄金時代にあった西武を追い詰める立役者となった。
翌89年は49本塁打でキングとなる大活躍。近鉄はついに西武から王座を奪い取った。乗ったら手のつけられない打撃で、1試合3本塁打を何度もマークするなど、神がかり的なブライアントの打棒を、知将、森祇晶監督率いる西武も止められなかった。
西武は85年から88年まで4連覇、90年から94年まで5連覇を達成しており、89年というシーズンがなければ、どうなっていたか。ブライアントが歴史を変えた、といわれるのはそこからきている。
■無駄な人件費も必要経費
当時の中日のフロントにはどのような判断があったのだろう。開花の見込みはないと踏んだのか、パ・リーグに行く分にはいいだろう、と考えたのか。とにかく、1軍出場の見込みがないならば、抱えておいても仕方がない、という結論になったのは間違いない。
この年、中日はリーグ優勝しており、ブライアントの放出はシーズンの戦いにも影響がなかったことになる。
1軍の外国人枠は拡大されたが、契約選手が増えた今、2軍待機の選手は増えている。第2のブライアントになり得る予備軍の層も厚くなっている、とみていいだろう。
当然選手本人も、外国人枠は承知の上で来日している。また、選手層を厚くして、いざというときに備えるのは球団の危機管理として当然のことでもある。無駄にみえる人件費も、優勝、日本一のための必要経費とされているわけで、はたからとやかく言うことではないのかもしれない。
だが、せっかく好成績を残しているのに、1軍で活躍する場がないとすれば、何とももったいない話。
選手のレンタル制度といったものがあれば、融通が利くのに、とも思われるが、これは実現の可能性がない。野球協約で禁止されているからだ。
「球団は、他の球団に選手を貸与し、又は呼戻権を留保し、あるいは条件を付して、選手契約を譲渡することはできない」(第107条=選手の貸与禁止)
期間限定のレンタルを認めると、選手の身分が安定しなくなることや、ペナントレースに不当な影響を与えかねない特定球団間の戦力融通の恐れがあることなどが、規定の背後にあると思われる。
結局、1軍昇格の見込みのない選手であっても、"解放"するかどうかは各球団の胸三寸だ。今はセ、パ交流戦もあり、別リーグだからといって、うかつに「どうぞ」というわけにもいかない。判断はより難しくなっている。ブライアントのようなヒョウタンから駒、というドラマもたまにはみたいが、88年の中日のような太っ腹な球団が出てくるかどうか。