毛沢東の元秘書、李鋭氏死去 改革派重鎮
【北京=永井央紀】中国共産党幹部で毛沢東氏の秘書も務めた李鋭氏が16日、北京市内の病院で死去した。101歳だった。1989年の天安門事件で民主化を求める学生への軍の武力行使に反対し、その後も言論の自由を訴えてきた改革派の重鎮だった。
李氏の親族が明らかにした。17年生まれで37年に共産党に入り、建国の父と位置づけられる毛沢東氏の秘書を務めた。多数の餓死者を出した大躍進政策を批判して党を除名され、文化大革命でも8年間投獄された。名誉回復を果たした後は党内の人事をつかさどる組織部で副部長などを務めた。
引退後は天安門事件で学生を擁護して失脚した趙紫陽、その2年前に民主化を求める運動への対応を批判されて失脚した胡耀邦、両元総書記の名誉回復を主張してきた。2010年に民主活動家の劉暁波氏が獄中でノーベル平和賞を受賞した際には、中国の言論統制を批判。改革派雑誌を支持し、習近平(シー・ジンピン)国家主席にも批判的な意見を述べてきたとされる。
18年3月に体調を崩し、入院していた。香港メディアによると、李氏は生前、死後は棺に党旗をかけず、党幹部用の「八宝山革命公墓」にも埋葬しないよう娘に語っていたという。党機関紙、人民日報系「環球時報」の胡錫進総編集長はSNSで、李氏は党で老幹部の待遇を受けつつ反体制派や西側の支持を得ていたと指摘し「特殊な方式で中国の主流路線に抵抗する模範となった」と評した。