日産、1000万台目標のツケ 「必達経営」で乱売進む
日産自動車が12日発表した2018年4~12月期決算は拡大路線のツケが表面化した。日産は元会長のカルロス・ゴーン被告のもと日仏連合で世界販売1千万台の大台を目指し、販売台数を優先する拡販路線を敷いた。ただ急拡大で兵站(たん)は伸びきり、収益力は伴わなかった。仏ルノーとの提携で経営の効率化を狙ったが、ゴーン元会長の逮捕で両社の関係は揺らいだ。経営危機から20年、日産は再び正念場を迎えた。
「市況が悪く、第4四半期(1~3月)で無理に(販売の)落ち込みを補おうとすると過去の過ちを繰り返すと考えた」
日産の西川広人社長は12日、横浜本社で開いた決算会見に出席し、19年3月期の営業利益見通しを、従来予想から900億円下方修正した理由をこう説明した。その上で「(企業の)価値向上の取り組みは、一朝一夕ではできない。経営陣として一貫性を持ち、辛抱強く仕事をすることを肝に銘じたい」と述べた。
経営危機に陥った日産にルノーが出資したのが99年。2年後の01年に、ゴーン元会長は日産のトップに就いた。「コミットメント経営」と称し、決めた経営数値目標は必ず達成することを公言し、実際に結果を出した。
変化の兆しは、ゴーン氏がトップに就いてから10年後となる11年。同氏が掲げた16年度までの5年間の中期経営計画「パワー88」から、日産の経営は変調を見せた。
当時、08年のリーマン・ショックの後遺症で自動車業界は依然厳しい状況は続いていたが、それでもゴーン氏はあくまでコミットメント経営にこだわった。同計画では世界シェアを6%から8%へ、売上高営業利益率は8%を掲げた。
ゴーン氏のもとで「数値目標は絶対的なものを意味し、なりふり構わぬ数字作りが求められる社内風土が出来上がった」。日産の販売関係者はそう当時を振り返る。
そんな数値優先の経営のツケは、主力の米国市場を見ればよく分かる。1月に離職したホセ・ムニョス氏が旗振り役となったが、販売台数増と、営業利益の引き上げの両立を追い求める余り、結果として米国戦略は方向感覚を失う。量販車のセダンや小型トラックの新型車の投入が遅れるなど戦略が迷走し、じりじりと競争力を失っていった。
18年の米市場は、前年を上回る0.3%増となる中、日産は6%減と低迷し、特にセダンは17%減と落ち込んだ。販売の落ち込みを必死に値引きで補い、台数をなんとか確保しようともしたが補えず、値引きでかえって利益も落とす悪循環にはまった。それはやはり経営が、あまりに数値目標の達成の優先だった結果との指摘は否めない。
日産も自覚しており、12日の会見で西川社長は「過去に無理な販売増と拡大を繰り返し、ブランド価値が十分でない。一貫性のあるマーケティングと顧客への価値訴求が必要だ」と語った。
将来の成長を占う開発面でも不安は少なくない。例えば数年前、技術で先行するイメージもあった電気自動車(EV)。しかしゴーン氏のもと、いつしか何年に何万台の販売、何年に何車種投入といった数値目標がここでも優先され、急拡大路線に開発陣についていけなかった。その結果、開発陣からは人材流出が続き、日産は現在、EVでリードするメーカーになってもいない。
生産面でも同様だ。特に販売台数の上積みで期待をかけた東南アジアでの新興国戦略は一貫性を欠いた。新興国専用ブランド「ダットサン」はインド、インドネシアなど戦略国で低所得層から支持を得られず、インドネシアでは18年のシェアは1%未満だ。日産幹部もその理由を、特に東南アジア、南米での工場の新設・拡張を急ぎ進めた結果「(現場で)兵たんが伸びきってしまった」とし、過ちを認めている。
「コミットメント経営」ともてはやされ、ゴーン元会長の代名詞でもあった数値目標必達の経営。ルノーによる日産への出資から20年の節目で総括が求められると同時に、西川社長には早急な修正が求められている。
日産自動車が選択を迫られている。
内田誠新社長のもと、業績をどう立て直すのか、筆頭株主である仏ルノーとの関係をどう再構築するのか。
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