ファンからホースマンへ ある厩務員の思い
2018年に中央競馬で活躍した人馬を表彰するJRA(日本中央競馬会)賞授賞式が1月28日、東京都内のホテルで行われました。日本のホースマンにとっては最大の晴れ舞台。受賞馬の馬主をはじめ、調教師や騎手、調教助手、厩務員のみなさんが舞台上で祝福を受けていました。多くの苦労が最も報われた瞬間だと思います。もちろんこの舞台にたどり着くというのは並大抵のことではないと思います。
以前というより昔は、肉親が厩舎関係者という人が後を追ってホースマンに、というケースが多かったようです。しかし競馬学校が創設された後は、いち競馬ファンから厩舎社会を目指す人が本当に増えてきました。トレーニングセンター(トレセン)の外から、どんな道のりでホースマンになったのか。ある厩務員にお話をうかがいました。現在、栗東トレセンの田所秀孝厩舎で厩務員をしている渡辺明治さん(45)です。
■馬好き高じて馬術部へ
渡辺さんは中学時代、もともとはお兄さんが競馬好きで、そのお兄さんがテレビで競馬中継を見ている横でレースを見て、興味を持ったということです。高校時代は部活でソフトボールをやっていたものの、週末は午後になるとレースが気になって仕方がないくらい競馬が好きになっていたそうです。部活仲間にも競馬好きがいて、部活がないときには一緒に競馬場にも足を運んでレースを見ることもあったとのこと。実は渡辺さんは私より11歳下で、高校の後輩に当たります。私の高校時代は、競馬に興味を持っていた同級生など皆無(もしかしたら隠れファンはいたかもしれませんが)でした。私の高校卒業後10年ほどで、競馬が単なるギャンブルではなくレジャースポーツとして一気に世の中に浸透していった時期なのでしょう。
さて渡辺さんは高校卒業後、近大に進学。馬好きが高じて馬術部へと入部しました。このころから競馬関係の仕事を意識していると思ったら、当時は大学卒業後は普通に就職活動をしてサラリーマンになるつもりだったそうです。なぜ馬術部にかといえば、競馬場でアルバイトができるからという、いかにも競馬ファンらしい動機でした。その渡辺さんに大きな転機が訪れたのは卒業が近づいた4年生のとき、馬術部に競走馬を生産・育成するノーザンファームから「馬術をやっている人で牧場で働きたい人はいないか」という求人があったといいます。趣味から仕事に。それを契機に競馬の世界へ飛び込むことを決意したそうです。
■競走馬のスピードに驚く
現在、競馬学校の厩務員過程を受験するためには1年以上の牧場での就労経験が必要ですが、渡辺さんが競馬学校の受験を決意した当時は、就労経験が3年以上も必要でした。渡辺さんは将来の受験を前提に、ノーザンファームで正社員として働き始めました。そこで感じたのは今まで携わってきた乗馬用の馬と競走馬の違い。スピードと俊敏さが全く違ったそうです。そして3年後、競馬学校を受験して合格。半年の厩務員課程を経て栗東(滋賀県栗東市)の白井寿昭厩舎に所属し、ホースマンとしてのキャリアが始まりました。初勝利は厩務員になって1年もたたない02年4月14日、ビッグマックスで挙げました。ファンとして見ていたときとは全く別物の感激だったそうです。
厩務員としての一番の苦労は、相手(馬)が言葉を話せないこと。しかし、毎日世話をしていると徐々に相手の思っていることがわかるようになってくるそうです。そして今はどんな気持ちで馬に接しているのかを聞くと、「とにかく自分の担当馬が無事に走って戻ってきてくれること」。この仕事の素晴らしさについて尋ねると「楽な仕事ではないものの、日常では味わえない感情を味わうことができること」と話してくれました。
この世界(ホースマン)を目指す人へのアドバイスをお願いすると、「とにかく馬に接してほしいです。乗馬でもなんでも、馬に接する機会を多く持ってもらいたいですね。私も大学時代の馬術部の経験が本当に役に立ちました」とのことでした。今回の取材では「この世界を目指してくださいとは簡単にいえませんが、少しでも競馬とそれをとりまくホースマンに興味を持ってくれたら」と最後に話してくれました。
取材を終えての印象は「とにかく馬に対する愛情の深い人」。控えめで、あまり大きなことはおっしゃいませんでしたが、いずれ大舞台で活躍した愛馬を満面の笑みで迎える姿を期待してやみません。
(ラジオNIKKEIアナウンサー 檜川彰人)