大嘗祭の麁服(あらたえ)調進準備 三木信夫さん
(語る ひと・まち・産業)阿波忌部直系 徳島の麻文化再興訴え
■阿波忌部(あわいんべ)直系の三木信夫さん(82)が11月に予定されている代替わりの皇室行事「大嘗祭(だいじょうさい)」で自身2度目となる「麁服(あらたえ)」調進に向けて準備を進める。古代から続く徳島発祥の伝統文化を発信し、地域の歴史的価値の再評価につなげようと全国で講演活動に飛び回る。
「新天皇の即位関連儀式である『大嘗祭』において麻の織物『麁服』は欠かすことができない重要な品。調進とは天皇家から依頼を受けて納めることで、古代からこれができるのは阿波忌部である三木家だけだった。室町時代前半の南北朝の動乱でいったんは途絶えてしまうが、大正天皇の儀式で約580年ぶりに復活した。『大嘗祭』は日本の歴史そのものである。古代からの伝統様式をそのまま次の世代につないでいく努力が求められている」
「残念ながら『麁服』調進への関心は地元徳島よりも東京など首都圏の人の方が高い。徳島の人は天皇家の祭祀(さいし)において、この地が重要な役割を担ってきたという歴史文化を自慢してほしい。観光資源として活用するアイデアを地域で出し合うことも大切だと考える」
■三木家には1260年の亀山天皇の「大嘗祭」で「麁服」の調進をするように記された古文書が残る。三木家直系は「麁服」を作製し宮中に直接届けられる唯一の「御殿人(みあらかんど)」だ。三木さんは徳島に根付いてきた麻の文化や織物の技術を伝承し、再興することが地域活性化につながると訴える。
「麻を栽培する畑を整地し、春に種をまく。何度も間引きをしながら約100日で成長した麻を収穫し、茎の天日干しから煮沸、皮を剥ぐなどの工程を経て麻の繊維を紡いでいき、『麁服』が完成する。『麁服』にできる麻は気温が平地よりも3~5度低い高地といった限られた場所でしか栽培できない。こうした繊細な技術を確実に継承していくことは今後の課題だ」
「全国でも麻を織る職人は高齢になり数が少なくなっている。徳島の工業系の高校などでこの技術を教える課程を作ってもらえれば若い人に着実に受け継いでもらえると思っている」
「麻は法律で栽培が制限されていることもあり、管理も大変だ。私が担当した前回(の『大嘗祭』)は麻を育てる畑を24時間警備しなければならなかった。こうした人件費を含めて『麁服』調進にかかる費用は数千万円になる。徳島の企業や人に広く寄付を募っており、これが地元の関心が高まるきっかけになればと期待している」
■現在の吉野川市は麻を植える地域に由来する「麻植(おえ)郡」という名称だった。徳島の麻文化再興に向けて「麻植」の地名復活を提唱する。
「2004年に4町村合併で『麻植郡』が消滅した。これを後悔する人たちも増えている。兵庫県の篠山市が丹波篠山市への変更を問う住民投票が賛成多数で成立した例もある。麻農業が誇れる文化だと地域住民に浸透していけば、自然と地名を変えようという動きにつながってくるのではないかと期待している」
《一言メモ》築400年の古民家守る
築400年以上の徳島県最古の民家である三木家は剣山のふもと、木屋平にある。美馬市中心部から細い山道を車で約40分かかってたどり着く。かやぶき屋根の国指定重要文化財の古民家に三木信夫さんは実際に住み維持管理をしている。
近くかやぶき屋根の葺(ふ)き替えを予定しているが、費用は数千万円にもおよぶ。その費用の一部には国や県から補助金が出るものの、三木さんの個人負担も大きいという。
「この地域の歴史と伝統文化を1人でも多くの人に知ってほしい」と麻文化の発信に奔走する三木さんの思いは「麁服」を後世につなぐこと。現在大学生の孫が後継者となる予定だが、併設する資料館への来館者を増やす取り組みなどと合わせ、継続して地域全体で支える仕組みを作る必要性が今後高まりそうだ。
(徳島支局 長谷川岳志)