夢は世界最高レベルの舞台 逆輸入騎手誕生への道
オーストラリアでスタートした「騎手人生」がいま、大きな転機を迎えようとしている。2019年度の日本中央競馬会(JRA)新規騎手試験第1次試験(学科、筆記)に合格した藤井勘一郎騎手。過去5回の挑戦はいずれも1次試験で不合格。6回目の挑戦でようやく1次の壁を越えることができた。とはいえ、あくまでも1次合格であり、まだ長年の夢がかなったわけではない。
「最初に受験したのが09年。10年余りで6回目の受験になりました。でも、今回は一番、手応えがありました。1次試験合格の後は、周囲からおめでとうと声をかけられましたが、まだ合格したわけではないですから。気を抜かずに次の試験に向け準備をしたいです」と藤井騎手は現在の心境を話してくれた。
■競馬の魅力に取りつかれ志す
父は銀行員というサラリーマン家庭に育ち、競馬の世界とは全く縁がなかった。競馬に興味を持つきっかけは、子供のころに読んでいた漫画「こちら葛飾区亀有公園前派出所」。主人公の警察官が競馬を楽しむ姿に、初めて競馬という存在を知ったという。後に、実際の競馬に触れたのは、フジキセキが4連勝を飾った弥生賞。漆黒の馬体に魅せられ、ますます競馬の魅力に引きこまれていった。
初めての競馬生観戦は、父に連れられて訪れた京都競馬場。「パドックを周回するサラブレッドの大きさや美しさ、芝生の上を走る蹄(てい)音、スピード感に圧倒されました」と振り返る。このころには、すっかり競馬の魅力に取りつかれ、自然と騎手を志すようになった。
最初はJRAの競馬学校に入学するつもりだったが、願書を取り寄せたときには、受験資格で既に体重が1キロオーバー。騎手の道も一度は諦めかけた。そんなとき、競馬雑誌に掲載されていた広告でオーストラリアのARI競馬学校の存在を知る。15歳で単身オーストラリアに渡ることにも迷いはなかった。デビューから5年間在籍したオーストラリアの思い出について、「騎手としてのデビュー戦は4頭立ての1600メートル戦。3着という結果でした。その2週間後、ゲート内の事故で負傷して3カ月戦列から離れることになりました。ついていないと思いましたね」
そして事故から数カ月後、復帰したその日に初勝利。このころから少しずつ、藤井騎手にフォローの風が吹き始める。「初勝利は02年春のリズモア競馬場。ブライドルスターという馬でした。馬の調子のよいころで、この馬のおかげでタムワースやグラフトンなどオーストラリアのいろいろな競馬場に連れていってもらって勝利を挙げ、多くの経験を積むことができました」
もちろん、馬だけでなく、人にも恵まれてきたという。「3年間所属したノエル・メイフィールドスミス調教師には、今でも大いに感謝しています」
見習い騎手時代、他の厩舎スタッフと同様に、馬の世話から掃除や雑用、そして調教と全ての仕事を他のスタッフと同じように要求された。騎手だからと特別扱いをされることは一切なかったという。世界各地を転々とし、騎手免許が切れると日本の牧場で働くこともある厳しい境遇も、見習い騎手時代に培った経験があったから克服できたといえる。
オーストラリアを手始めに、シンガポール、韓国や英国、日本など13カ国を回り、騎乗してきた競馬場は60カ所を超える。そんな藤井騎手が強く感じているのは、日本の競馬の素晴らしさだという。
「ジャパンカップの日も、地方馬ハッピーグリン(北海道・道営)の応援で東京競馬場に行っていました。発走が近づくと、ターフビジョンにプロモーション映像が流れ、ファンを盛り上げる演出。また、それに応える日本のファンは、とにかく熱狂的。日本の競馬は馬のレベル、賞金の高さ、熱心なファンの応援のどれをとっても世界最高レベルにあると思います。上を目指すのであれば、日本を拠点にやりたいと思うのは当然」と日本での騎乗に思いをはせる。
■胸には「チャレンジ」の文字
6度目となった今回の挑戦も、背中を押してくれたのは家族の存在だった。一昨年の5回目の挑戦に失敗したときには、競馬を離れて牧場で働きながら、今後のことを思い悩む日々が続いた。そんなときにオーストラリアでの騎乗と、6度目のJRA試験の受験を妻が後押ししてくれたのである。
「家族の協力と、オーストラリア関係者の理解があって今回の挑戦ができています。オーストラリアの免許がなければ、日本での短期免許の騎乗もかなわない。レース勘を鈍らせず、そのうえで筆記試験にも備えないといけないですから。異国の地で、ただ机に向かっているだけでは、身につかないことが多いですね」。何度も騎手試験を受験してきた経験から、日本に身を置いて日本の競馬に触れ、競馬法規や常識問題などに取り組む重要性を感じているという。
藤井騎手の着ていた特注のブルゾンには「藤井チャレンジ」の文字が刺しゅうされている。「自分にプレッシャーをかけて、前を向いていくために、この文字を入れています。残された時間、挑戦する時間も限られています。試験に合格したら? 日本の馬に騎乗して、オーストラリアやシンガポールのレースで優勝してみたいですね。もちろん、日本のビッグレースでも勝ちたいですよ」と今後の"夢"を口にした。
藤井騎手は現在、栗東の矢作芳人厩舎で研修を続けながら、技術試験や面接に備えている。2次試験は1月30日、合格発表は2月12日。夢の舞台への第一歩を踏み出せるよう願わずにはいられない。
(ラジオNIKKEIアナウンサー 木和田篤)