大分6代目、世界が認めた日本酒愛(探検!九州・沖縄)
中野酒造社長 中野淳之氏(肖像)
「日本酒ですか? 麦焼酎の本場で?」。そんな質問をよく受けると、大分県杵築市の中野酒造社長、中野淳之(39)は苦笑いする。1874年(明治7年)創業の造り酒屋の6代目。10年前に新ブランド「ちえびじん」を立ち上げると日本酒好きの注目を集め、今では海外からも注文が舞い込む。社員8人の小さな蔵を押し上げたのは「郷土に誇れる素晴らしい酒を」という一徹な思いだった。
「押し込み営業」酒類業界に疑問
ひんやりとした空気に包まれた蔵に、柔らかな音のクラシックが流れる。タンクには仕込んだばかりの酒。「いい音楽を聴かせれば味に深みが出るかもしれないと思って」
中野の仕事は、トップとして昼夜を問わず会合に顔を出すだけではない。切れそうな冷水に手を浸し酒米を蒸しあげる蔵人(くらびと)でもある。午前5時半に起きて蔵に入り、10キロに小分けした酒米を地下200メートルからくみ上げた水につける。今の時期ならきっかり9分。「気温が低ければ数十秒長くする」。この微妙な案配が、安定した味には欠かせない。搾った酒はすぐ瓶詰めし5度に保つ。
家業を継いだのは大学で醸造を学び、大阪の酒類卸会社に5年勤めた後の2007年。営業マンとして厳しい価格競争にさらされたのは後の肥やしといえたが、目標達成のため無理を承知で「あと10ケース納めて下さい」と小売店にねじ込むのが心底きつかった。"押し込み営業"では売れ残りが出かねないとわかってはいたが、「会社の数字が最優先だった」。
棚でほこりをかぶっている商品を見た時の寂しさ。この売り方だけは自分の会社ですまいと誓ったが、現実は甘くない。焼酎ブームの当時、日本酒は売れない。父はスーパー向けの紙パック酒を主力に据えたが、その苦労も息子の目にはじり貧と映った。
どうすればいいか。悩みながら問屋を巡っていた08年、頭を殴られるような思いをする。東京都内の日本酒専門店で勧められた1杯。プラスチック製のコップに注がれたのは、山形・高木酒造の「十四代」や佐賀・富久千代酒造の「鍋島」など日本を代表する名酒だった。経営者自らが仕込み、納得した商品を提供すればブームなど過度に気にする必要もないと知った。
新ブランド販売、酒屋と知恵絞る
逆風の環境を嘆く暇があるのなら"個"を磨け――。突破口は単純明快だと悟った後は早かった。09年、火入れをしない生酒の純米吟醸酒「ちえびじん」をリリース。実家が手がけてきた「智恵美人」を下敷きに、口当たりをより軟らかくフルーティーにした新ブランドだ。「華やかすぎず口に含んで余韻が残るような吟醸酒に仕上げた」というプライドとともに、絞りたてを一升瓶350本に詰めた。
販売は付き合いの長い大分県内の酒屋4軒と東京都内の2軒だけ。それでも完売した。「飲む直前まで冷やしてほしいと酒屋さんがアドバイスしてくれたおかげでした」。造り手と売り手が手柄を分け合う幸せな関係こそ、中野が探し求めていたものだった。
「ちえびじん」は季節限定品を徐々に増やして全13種類に。昨年末発売の「LOVE PINK」はピンクに発色する酵母を用いた濁り酒。今夏には喉越しのいい微発泡酒を出す。「売らせてほしい」との申し出を断るまでになった。
知名度に資金、蔵人としての経験と、振り返れば"ないない"づくしだったが、昨夏にはフランスの三つ星レストランシェフらによる日本酒品評会で最高賞を受賞した。ただ、これも通過点。「ワインのように世界の誰もが飲む酒に、日本酒もなってほしい」。39歳はそんな夢を抱き続けている。=文中敬称略
大分支局長 奈良部光則
写真 塩山賢
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