「消えた」お札、今どこに?(平成のアルバム)
2000円札
「本日はあいにく持ち合わせていません」。東京都内のある大手銀行の支店。窓口担当者に2000円札への両替を求めると、こんな言葉が返ってきた。担当者いわく「両替のお願いなんかめったにありません。私自身、何年も紙幣を見ていませんよ」。
1999年10月5日、当時の小渕恵三首相が九州・沖縄サミット(主要国首脳会議)までに発行するよう指示して誕生した。小渕首相は記者会見で「2000年という次の世紀に向かっていくにふさわしい」「諸外国には『2』がつく通貨が広く流通しており、国民の利便性も高い」と狙いを強調。政府のミレニアム・プロジェクト(千年紀事業)の目玉として発行が始まった。
発行直後は商店街で「2000円セール」が開かれたり、大蔵省(現財務省)や日本銀行が職員給与の一部を2000円札で支払ったりするなど注目を集めた。流通量は04年8月末に約5.1億枚と、5000円札(約4.5億枚)を上回る枚数が市中に出回ったという。
だが、対応できるATMが少なかったことなどが影響し、流通枚数は右肩下がり。近年は1億枚弱で推移し、紙幣全体のわずか0.7%。日常生活の中で見かけることはなくなった。
いったいどこに行ったのかと探してみたら、沖縄県で流通量が00年から約3倍に増えていた。表面に県内の観光名所である首里城の守礼門が描かれていることもあり「愛着を持っている人が多い」と琉球銀行の担当者。同行の県内のATMには「二千円札優先」というボタンがあり、手に入れやすい環境にあるようだ。
日本人がダメなら外国人に――。財務省などは16年から「守礼門」や裏面に描かれている「源氏物語絵巻」「紫式部」を英語で解説したリーフレットを配布し、積極的な交換を呼びかけている。売り出し方は「日本のちいさな文化財」。訪日客に魅力が広がれば、日本国民にも振り向いてもらえる日がくるかもしれない。