香港競馬実況が残した強烈な「インパクト」
いまや毎年、1000万人を超える日本人が海外へ渡航する時代です。そんな時代に、日本から一歩も出たことがないまま30代半ばを迎えていた私。そんな私も2018年、競馬実況という仕事を通じて、人生初の渡航に至りました。そこで感じたことを、今回は書きつづってみたいと思います。
■初の海外、アウェーを実感
18年4月、人生初の渡航先は「香港」。香港競馬の春の大一番で、日本馬も過去に4勝したクイーンエリザベス2世カップ(G1・芝2000メートル)当日に、17年まで翌週に行われていたチェアマンズスプリントプライズ(芝1200メートル)と、チャンピオンズマイル(芝1600メートル)が移設。国際G1レースが1日で3つ行われる「チャンピオンズデー」が創設されました。このうち、クイーンエリザベス2世カップは日本中央競馬会(JRA)が海外馬券発売を行うため、舞台の香港・シャティン競馬場での実況という大役を仰せつかったのです。
34歳にして人生初海外。国際線の乗り方も知りません。中継を担当するグリーンチャンネルのスタッフに同行させていただき、羽田から空路で香港へ到着したのはレース4日前の水曜日。そこからは初めて足を踏み入れた海外に興奮の連続でした。水曜夜に開催されるハッピーバレー競馬場、木曜朝の調教取材から枠順抽選会、金曜のレセプションパーティー、当日のシャティン競馬場。1レースから盛り上がる、日本と変わらないファンの方々の熱気。見るもの全てが新鮮な5泊6日の香港出張になりました。
初の海外実況はとにかく緊張したことしか覚えていません。8頭立てと少頭数だったクイーンエリザベス2世カップでも、スタートから気合が乗りすぎて、ゴール前は実況アナがいっぱいいっぱいのありさま。レース後は「アウェーで結果を出すことはこんなに難しいのか……」と、現実を思い知らされました。翌日、帰国する飛行機の機内で「もっと実力をつけて、12月にまた香港で実況したい」という願望が早くも沸き上がっていたほどですから、人生の中でも相当インパクトの強い出来事だったのでしょう。
■自分の意図とは全く違う馬名が…
運よく願いがかなって12月、日本の競馬ファンにもすっかり定着した香港国際競走の現地実況のため、人生2度目の国際線に乗ることになりました。春と比べて印象的だったのは「国際色の豊かさ」。海外からの関係者、メディアの数も桁違いで、レース2日前のガラパーティーも驚くような規模でした。当日のシャティン競馬場も朝から場内を歩くのが大変なほどで、前年を上回る9万5000人以上が詰めかけた日曜日、香港競馬最大のイベントの熱気に圧倒されていました。
肝心の実況は――。1度シャティンでのG1実況を経験したとはいえ、香港国際競走は簡単ではありませんでした。特に戸惑ったのは、コースに馬が入場してから、発走までの時間が日本より短いこと。日本なら、本馬場入場時に出走馬を紹介しても発走まで10分程あります。しかし、香港ではコースに出てから発走まで5~6分。双眼鏡で実際に馬を見た瞬間、「反射的」に口から名前が出てくるようになじませる作業の時間も、当然短くなります。春に行われたG1レース3つは出走馬が合計25頭と少なかったのでさほど気になりませんでしたが、香港国際競走はG1レース4つに49頭(香港ヴァーズと香港マイルがフルゲートの14頭、香港スプリントが12頭、香港カップが9頭)。日本で実況用の資料をまとめ、馬名を何度も口に出してという準備をして来ても、普段見ないパターンの勝負服と馬名を結びつける作業は、どうしても時間がかかります。
結局、後で実況を聴き直すと、自分の意図と全く違う馬名が口から出ていた、馬名がスムーズに出てこないのでリズムも悪いなど反省点は山のように。放送ブースからコースは見やすく、日本の競馬場とよく似たシャティン競馬場でも、アウェーであることは変わらず。春より落ち着いて実況できても、レース後の悔しさは全く同じ、という初の香港国際競走実況でした。
■香港馬はレベルアップ
馬券が発売されている以上、1着から3着までの争いをしっかりお伝えするのが実況アナの仕事です。とはいえ、異国の地で「日本馬勝利の瞬間を実況したい」という願望は先に立つもの。最初の香港ヴァーズで、リスグラシューが一度先頭に立った時には「よし、勝てる!」と気持ちも高ぶったのですが……。香港のエグザルタントがゴール寸前で差し返し、地元勢として5年ぶりにヴァーズを制しました。
香港馬の勢いは止まらず、スプリントはミスタースタニングが連覇。マイルはビューティージェネレーションが余裕満々に後続を突き放してこれも連覇。カップはグロリアスフォーエバーが逃げ切り、17年のタイムワープに続く兄弟制覇を達成。香港国際競走が現行の4つのG1競走同日開催になった1999年以降初めて、香港馬が「4戦全勝」を果たしました。香港馬のレベルアップを高らかに告げるように表彰式で「義勇軍行進曲」が演奏されること4度。やっぱり一度は「君が代」を聴きたかったと思いながら、全レース終了後のクロージングセレモニー恒例の花火を眺めていました。
シャティン競馬場を離れる直前、パドックのビジョンに映っていたのは「明年再見(SEE YOU NEXT YEAR)」の文字。それを見た瞬間に湧いてきたのは、春と全く同じ気持ちでした。「もっと実力をつけて、来年もまたこの場で実況したい」
そのためにも、また1年努力しなくては。師走の香港出張も、人生の中で相当にインパクトの強い出来事でした。
(ラジオNIKKEIアナウンサー 大関隼)