東大発スタートアップ、バングラの医療過疎救う
バングラデシュの医療を東京大学で管理する。そんな試みが始まっている。東大発スタートアップのmiup(ミュープ、東京・文京)は現地の医療検査情報を人工知能(AI)で解析して病気の予防に役立てるサービスを提供する。インフラ整備が不十分なエリアに住む人々の健康を効率的に守る仕組みで、社会的に意義のある新ビジネスに育てる意向だ。
バングラ首都ダッカにあるウットラ地区。ダッカの下町といえるこの地区で現在、病院やクリニックから毎月1千件の検査データが日本の東大に送られてくる。国際協力機構(JICA)が2018年度に始めた集団健診サービスの実証だ。ミュープと医療機器に強いコニカミノルタが共同で業務を受託。19年春までに5千件のデータを集める計画だ。
集めたデータを基に、貧困層が多い過疎地でも健診できるシステムを構築するのが狙いだ。具体的には(1)BMIや血圧など簡単な検査で、病気にかかるリスクが高い健診者を抽出(2)簡易機器で自己採血してそのデータを東大のサーバーに送って解析(3)病気のリスクが極めて高い人のみを精密な血液検査や医師の診断を受けさせる――といった仕組みだ。
「バングラは医療機関や保険制度が不十分だが、モバイルインターネットは急速に普及している。IT(情報技術)を使った医療サービスを提供できる余地は大きい」。酒匂真理最高経営責任者(CEO)はミュープを立ち上げた狙いを語る。
バングラの医療・保健市場は年7千億円で年率1割の高成長が続いているという。だが貧困層に十分な医療が行き渡っているとは言い難い。新システムを使えば健診コストは従来の半分以下に抑えられ、現地の行政や企業は健診に踏み切ることができるとみている。
酒匂氏は東大農学生命科学研究科時代から、途上国支援に取り組んでいた。院修了後は消費財メーカーなどで働き、バングラ向けにもビジネス経験はあった。院時代から知り合いで、生命情報学やAIを使った未病対策など研究してきた長谷川嵩矩氏と意気投合。15年9月にミュープを起業した。
現在、酒匂氏と東大医学部卒で医師の森田知宏氏、バングラに常駐する横川祐太郎氏の3人が取締役を務める。長谷川氏は東大医科学研究所の助教で、大学の兼業規定から取締役には就いていないが、共同研究者として事業に関わる。
ミュープが目指すのは健診だけではない。「ITで健診、診療支援、臨床検査までを一気通貫で受け入れられる会社にする」(長谷川氏)。
過疎地で活躍が期待される医師とビデオチャットできるシステム。都市部では、混雑する総合病院の予約システム――。バングラでは医療関連のITビジネスは空白地帯が多い。
また現地では「チェンバー」(小屋)と呼ぶ時間限定の医院が多くある。昼間は総合病院などで働く医師が夜間、部屋の一室で副業で診察している。ミュープでは、チェンバーの診察データをスマートフォンで送ったりクラウドで管理したりするビジネスも計画する。
血液など臨床検査の受託はすでに始めている。バングラに設置した子会社「4ビリオンヘルス」には約20人の現地社員がおり、検査業務や受託営業を展開している。
健診や診療、臨床などで得られたデータは、ミュープにとって「宝の山」となる。AI解析に使う基データになるため、AI診断の精度を高めることになるからだ。
研究開発型企業に出資するベンチャーキャピタル、ビヨンドネクストベンチャーズ(東京・中央)から11月に1億円の出資を受けた。バングラでの事業展開に向けた人材確保や設備投資に充てる計画だ。
日本は健康保険など医療制度が整っている。少子化による人口減少で医療関連市場が急激に成長することは見込めない。一方、バングラは人口増加や経済成長がこれから本格的に進む。30年の医療市場は7兆円と現在の10倍に膨らむ予測だ。そのうち健診市場だけで3千億円に膨らむとの見方もある。今のうちに先行して市場開拓する意義は大きい。
同様の成長が今後見込める国は周辺国に多い。バングラで実績を重ねれば、他の国への展開も期待できるとみている。
「バングラで感染症の死亡者は減っており、亡くなった人の4割は心筋梗塞が原因だ。日本が戦後歩んだように予防対策が途上国の医療でも重要になってくる」と、森田氏は指摘する。日本の高度な医療技術とIT技術は、世界で生かすチャンスは高まっている。
(榊原健)
[日経産業新聞 2018年12月3日付]
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