家業「継ぎたい」後押し 山野千枝さん(もっと関西)
私のかんさい ベンチャー型事業承継代表理事
■中小企業の若手後継者を支援する一般社団法人ベンチャー型事業承継(東京・千代田)代表理事の山野千枝さん(49)。大阪市の中小企業支援拠点「大阪産業創造館」で事業部長を務めるなど、長く関西の中小・スタートアップ企業の育成に携わってきた。
バブル期の1980年代後半、生まれ育った岡山県を離れて関西学院大学に入学した。華やかな同級生たちとは距離を置き、アルバイトに明け暮れた。当時の愛車はホンダの二輪車「スーパーカブ」。格好いいと思って乗っていたけれど、同級生からは後ろ指を指されていた。
組織やグループに溶けこめない自分が大企業で働くのは無理だろう――。起業するしかないと考えて建築士を目指した。建築事務所でアルバイトをしながら資格取得に向けて勉強した。しかし、2年で諦めた。次は起業に役立つだろうと、経営者の近くで働ける企業を探して財務を担当した。
同時期に地元食材をインターネットで販売できないかと考え、修業のため食品販売店でアルバイトを始めた。半年やってみると、自分にとって食品業界はハードルが高いと感じた。起業すらできず、20歳代はずっと迷走していた。就職してキャリアを積んでいる同級生と比べては、劣等感に苦しんだ。
■そんなとき、2001年1月に開業する大阪産業創造館の活動に参加しないかと声をかけられた。
はぐれものが行政機関になじむのだろうか。不安はあったものの、まっとうな人生を送る最後のチャンスだと決意した。開業に先立つ00年春、最初の仕事は地元企業や経営者を紹介するフリーペーパーの創刊だった。取材して記事を書いたり、勉強会を開いたりする毎日で忙しかったが、充実感があった。居場所ができたと思った。
04年秋に開催した企業再生を目的とする勉強会が、事業承継を意識するきっかけになった。参加したある企業の社長が自己紹介のときに泣きだした。「2年で再建して、息子に『継ぎたい』と思ってもらえる会社にしたい」。声を絞りだすように話す姿から強い意気込みが伝わり、大きな衝撃を受けた。
その社長は2年を待たず再建を果たした。「会社を存続させたい」という気持ちが、成長の原動力になるのだと分かった。一方、自分の代で廃業すると決めた経営者もいた。子供と相談するタイミングを逃し、バトンを渡せないケースさえある。そこで経営者の子供が事業承継について考える機会をつくろうと、11年から母校の関西学院大で経営者の親を持つ学生向けの授業を始めた。
授業に家業を継ぎ、新規事業を育成した社長を招いて話をしてもらった。自転車部品販売店の3代目はバイク部品などの電子商取引(EC)に参入したことを語った。目を輝かせて聞く学生を見て、ここにカギがあると直感した。経営者の子供らが継ぎたいと感じられる環境を整えれば、状況は変わるだろう。
■中小企業の経営者と接してきた20年弱の経験を生かし、18年にベンチャー型事業承継を設立した。
ベンチャー型事業承継とは、中小企業の若手後継者が新規事業の開発に取り組み、家業を永続させようとする行動のこと。同法人は彼らを支援するため、相談しあえる交流場所や事業のアイデアを発信するイベントを運営する。支援するときは「押しつけ」にならないよう気をつけている。ベテランが教え導くというやり方は、変化の速いいまの世の中にはなじまない。
関西には金属加工や食品加工など成熟産業が集積している。イノベーションはIT(情報技術)スタートアップ企業の専売特許と思われがちだが、成熟産業であってもアイデア次第で革新的な商品・サービスを生みだせる。担い手になるのが若手後継者たち。彼らはきっと関西発の新しいビジネスを多くつくってくれるはずだ。
(聞き手は大阪経済部 香月夏子)
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