元中日・荒木さん完全燃焼 納得の「涙も出ない」
編集委員 篠山正幸
今季限りでユニホームを脱いだ中日・荒木雅博さん(41)のすがすがしい笑顔が印象的だった。6日「やり切りすぎて涙も出ない」と話した引退記者会見は、辞めていく選手の多くが、ああすればよかった、まだやり残したことがあると語るなかで、異例ともいえる完全燃焼の幸福感に包まれていた。
荒木さんならば「やり切った」感もあるはず。そんな心当たりが、確かにあった。あれだけ、1分、1秒たりとも手抜きのないプレーをしてきたならば……。
■完璧に、愚直にバックアップ
たとえば、二塁を守っているときの送球ミスなどに備えたバックアップ。走者三塁のとき、捕手から投手へのボールを返す際に、遊撃手か二塁手が投手の後ろに入って、送球がそれたときに三塁走者を生還させないように備える。
どこの二遊間でもやっていることだが、荒木さんほど(中日時代に二遊間を組んだ井端弘和さんとともに)完璧に、そして愚直にその任務をこなした選手はそういないだろう。
中日の正捕手は長く、谷繁元信さんが務めていた。球史に残る捕手の投手への返球がそれるだろうか。プロ野球でそんな場面をみたことがある人は多くないだろう。高校野球でも、甲子園に出てくるほどのチームであれば、そのような"事故"にはまず遭遇しない。
ほぼありえないことのために、荒木さんはせっせとバックアップに走っていた。
荒木さんは話していた。「捕手からの返球がそれる確率? うーん、5年に一度あるかどうか。いや、僕がユニホームを着ている間、一度も起きないかもしれない。でも現役でいる限り続ける」
5年に一度であっても、起きない保証はない。それにしても、どこかで「まさか」という気持ちが生じ、大差がついたときなど、一回ぐらいはいいか、となるのが人間ではないだろうか。
熊本工卒業時に高校生でドラフト1位指名されたくらいだから、才能にも恵まれていたのだろうが、その「プロフェッショナリズム」を最も特徴づけたものは、ささいなことにも手を抜かず、妥協を排したところにあったと思われる。
■黄金時代支えた記録に表れぬ献身
遊ゴロや三塁ゴロの際の一塁のバックアップも完璧だった。二遊間寄りに守備位置をとっているときなどは、かなりの走行距離になるが、必ず一塁ファウルグラウンドまで走って悪送球に備えた。この手の決して記録に表れない献身が、黄金時代の中日を支えていた。
照れ隠しもあったのだろうか。ベースカバーやバックアップで全力疾走をするわけについて、こう語っていた。「ゲーム中にランニングができるでしょう。何でもないときにダッシュしていたら、バカみたいだけれど、ベースカバーやバックアップなら走る理由ができる」
「一日でも長く現役でいたいから、走る回数を多くする」とも。
そうした気持ちが揺らぐことなく、着実に一日一日を過ごしてきた。引退に至るまでのそうした道のりを考えるとき「やり切りすぎて涙も出ない」と語れるのも無理はない、と思われた。続けることこそが難しく、偉大なのだが、荒木さんが日々やってきたこと自体は、志の持ちよう次第という部分があり、まねできないことではない。
25日のドラフト会議(新人選択会議)で、育成選手を含む104人が指名され、プロへのスタートラインに立った。このうち何人が「やり切った」といって現役人生を終えることができるか。本塁打を何百本打った打者、あるいは100勝、200勝を挙げた投手より、まずは荒木先輩の生き方に学ぶ方が、プロの第一歩としてはいいかもしれない。