50歳で考えた生と死 自分の存在を人の記憶に…
6年前、「末期がんの友人にぜひともあってほしい」という一通のメールを受け取った。連日、多忙を極めていたことや、重い病気でどんな会話をすればよいのかもわからず、正直言ってあまり気が進まなかった。それでも私のわずかな正義感が背中を押し、病院に向かった。
病室へ入ると、その彼は満面の笑みでわざわざ起き上がり、遠方からの来訪を感謝する言葉を述べたあと、彼自身もトレイルランを走った経験があること、その後にがんが見つかったことを打ち明けてくれた。闘病生活中に私がモンブランを一周するUTMB(距離166キロメートル)を走る姿を映像で見て「なんとか話をしたかった」のだという。
初対面にもかかわらずレースの話題になると盛り上がり、私も100マイルレースでどのように苦しい状況を乗り越えてきたかなどをごく自然に話せた。彼は「いつかUTMBの舞台で数秒でもいいから併走したい」と、かすれた小さな声で言葉をかみしめながら答えてくれた。
長時間の会話は体調に障るだろうと思い、「また来ますよ」と切り上げて病院を後にした。もしかしたらこれが彼に会える最後かもしれないと思うと、胸が押しつぶされる思いだった。その数日後に彼はこの世を去った。
それからは私自身の競技や練習に対する「想い」が変わった。世の中には頑張りたくてもそれがかなわない人がいる。自分は走れる状況にいるのだから、苦しかろうが、故障を抱えようが、プレッシャーがかかろうが、できることを精いっぱい努力しよう。もちろん常に彼のことを考えているわけではないけれど、彼はごく自然に私の心の中にあり続け、気持ちを奮い立たせてくれる。
あれから数年がたち、気持ちは当時とまた少し変わってきた。
トレイルランニングでは時として険しい山岳地帯を越えて進む。とりわけ海外の100マイルレースのコースは大きな危険と常に隣り合わせだ。そのような時に必ず彼を思い浮かべる。亡くなった彼のことを私が想うように身内以外でも誰かが、将来死んだ私のことを思い出してくれるかもしれないと思えば、危ないレース前でも少し気が楽になる。
今週、50歳になり、人生もとっくに折り返し地点を過ぎたと感じる。まだ遠い将来なのだろうが、人生の終わりを意識するようになってきた。肉体が滅びるのはひとつの終わりではあるけれど、誰かの心にずっと生き続けることはできる。そう考えると、生と死の間には明確な境界線があるとはいえ、以前は恐怖でしかなかった死をいずれはすんなりと受け入れられそうだ。そして何年たっても彼のことを忘れないのは、あの日短い時間だったとはいえ、心の底から生きたいという強い気持ちに心を揺さぶられたからにほかならない。誰かの心の中に自分が生きた証しを伝えるべく、今まで以上に真剣に競技にも取り組みたい。
(プロトレイルランナー)