大坂なおみは多様性の象徴 国籍超える豊穣な魅力
スポーツコメンテーター フローラン・ダバディ
女子テニスの大坂なおみを初めて知ったときのことは忘れられない。4年前の朝、ふと読んだ日本のスポーツ紙で「大坂」という16歳の日本人女子選手が時速190キロのサービスでトップ選手のサマンサ・ストーサー(オーストラリア)を撃破したという記事を見つけた。
190キロである。僕はにわかに信じられなかった。いったいどこにこんな選手がいたのだろう。テニス関係者に問い合わせると、こんな答えが返ってきた。「ああ、大坂ですか。彼女は純粋な日本人ではありません。日本語もほとんど話しませんよ」
正直なところ、日本テニス界のこうした排他主義には驚かなかった。大坂なおみが異国育ちであるのは紛れもない事実だ。先日、カナダ代表として柔道の世界選手権で銅メダルを獲得した出口クリスタのように、多くのハーフのアスリートは日本で教育を受けている。けれども大坂はニューヨーク育ちだ。家では母親の環さんに日本流のしつけを受けていたとしても、いまの住まいもフロリダだし、ハイチにもルーツを持つ。日本ではあまり報じられなかったが、全米オープンで優勝した週末にはニューヨーク市内の有名なハイチ料理店で父方の家族や友人と祝杯を挙げている。
■「喜んでハイチのためにも…」
大坂のハイチ・クレオール語は日本語以上に心もとないけれど、半年ちょっと前にはハイチを訪れ、記者会見に臨んでいる。昨年10月にはハイチテニス協会会長のジュニオール・エティエンヌがジュニアのトップ選手を招き、大坂を囲む盛大なパーティーを開いた。その席で彼女は控えめな笑みを浮かべ、こう述べている。「日本ではハイチは小さな(貧しい)国だと聞かされていました。でもそれは本当ではありませんでした。私は美しいハイチとその文化が大好きです」。大坂はさらに続けた。「私は皆さんと同じハイチ人だと感じています。(日本と同じように)この国のためにも喜んで大使として働きたいと思っています」
過去、ハイチから生まれた著名なテニス選手といえば1989年の全仏オープン準々決勝でマイケル・チャンと対戦し、最高ランキング22位までいったロナルド・アジェノールぐらいしかいない。大坂はまさにハイチが必要としていたヒロインといえる。2010年のハイチ地震では、お父さんのレオナルドさんが生まれた村の住民の7割が犠牲になった。彼女がスター街道を歩めばハイチにテニスセンターを建てたり、フロリダに住む恵まれないハイチ移民の子どものために学校を開いたりすることもできるかもしれない。大坂の活躍は試練続きのハイチに勇気と希望を与えるだろう。
もちろん大坂は日本スポーツ界の"大使"でもあり、東京五輪での活躍も期待されている。今後2年間、熱狂するメディアの取材攻勢を不安視する声もあるが、彼女自身、注目や名声は嫌いではない。日本メディアの記者会見にも慣れてきたようだし、取材する側も彼女の少し変わったユーモアを理解し始めている。報道陣を笑わせられれば、それだけで会見は成功したようなものだ。
東京五輪のキーワードである「多様性」を体現している点でも、大坂は最高の人材だ。障害者や性的少数者(LGBT)、外国人、移民、国際結婚から生まれた子どもたち。彼らとどう向き合い、受け入れていくかはこれからの日本社会の課題でもある。同じマネジメント会社所属で人気者の錦織圭は多くのスポンサーを獲得しているが、大坂は資本主義社会の広告塔という役割を超え、多様な人たちの共存や統合の象徴になり得るのではないか。
■大切なのは私たち見る側の姿勢
最近、両親の国籍が日本とフランスで、15年来の付き合いがある滝川クリステルと電話でこうしたテーマについて話した。彼女が「ハーフ」のキャスターの先駆けとしてフジテレビのニュース番組を担当していたのはご存じの方も多いだろう。(ちなみに「ハーフ」というのは和製英語で、クリステルのような当事者たちは同じことを「ダブル」という語で表現している)。クリステルによると、「ダブル」は既に日本社会で広く受け入れられており「そこでの戦いは決着がついている」とのこと。彼女は国際結婚が増え、「ダブル」が増えることを願っているともいう。「もう一つの故郷」のことを日本に伝え、日本社会の目を世界に向けさせるのに「ダブル以上の適任者はいない」というのがその理由だ。
最近は海外に行きたがらない若者も少なくないが、日本にいても海外のことを知り、その文化を享受することはできる。カリブの国々は魅力にあふれ、学べることは多い。大坂がハイチやその文化を日本に紹介するようなテレビ番組が一つとして組まれていないのはもったいないと思う。
カメルーン人の父とフランス人の母を持つヤニック・ノアはテニスの83年全仏オープンで優勝を果たした。彼はカメルーンで育った後、フランスで本格的にテニスに取り組み、フランスを代表するスターの一人になった。ニューヨークに住みながらフランス代表としてプレーし、カメルーンのナショナルカラーのリストバンドを身につけながら、フランスのファンに愛された。
「多様性」を体現していたノアは左派の仏大統領フランソワ・ミッテラン(当時)が切望していたシンボルだった。35年前、彼の登場を機にフランス社会は変わった。
大坂に「第二のヤニック・ノア」になってくれとはいわない。彼女は彼女自身であればいいのだし、テニスでファンの心を揺さぶってくれれば十分だ。大切なのはむしろ僕たち見る側の姿勢だろう。大坂に「日本の誇り」といったレッテルを貼るのは控えたい。国境や国籍という既存の枠組みに収まらない豊穣(ほうじょう)なバックグラウンドこそが、彼女の最大の魅力なのだから。(敬称略)