中日・岩瀬、1000試合登板の記録が持つ意味
編集委員 篠山正幸
中日・岩瀬仁紀(43)が日本プロ野球史上初の1000試合登板を置き土産に、ユニホームを脱ぐ。数々の奪三振記録を持つ江夏豊さん(阪神など)も、現役の最後は一番の目標にしていたという記録の持つ意味を考えてみた。
2017年8月、米田哲也さん(阪急=現オリックスなど)の持つプロ野球記録、949試合を更新して1位になっていた岩瀬が、ついに大台に乗せた。
■歴代最多通算セーブ数も更新
このところは中継ぎを務めていたが、金字塔にあと1つと迫って迎えた9月28日の阪神戦(ナゴヤドーム)で、4-3の九回に登板。死球を与えながらも無失点に抑え、歴代最多の通算セーブ数を407と伸ばし、大記録に花を添えた。
通算登板数の記録を見ると、岩瀬を筆頭に、米田さん、金田正一さん(国鉄=現ヤクルトなど)944、梶本隆夫さん(阪急)867、小山正明さん(阪神など)856、江夏さん829と続く。
江夏さんの日本経済新聞連載「私の履歴書」によると、プロ18年目の1984年、日本ハムから西武に移ったころの一番の目標は1000試合登板だったという。
シーズン401奪三振など、誰もまねのできないような記録を打ち立て、功成り名を遂げた投手が、最後に行き着いたのがこの記録とは意外な気もしないではない。
何より投げることが大好きで、自分から投げさせてくださいといったことはあっても、きょうは投げられませんといったことはないという江夏さん。誰よりも多くマウンドに上ることが、一番の勲章だったということなのだろうか。
この永年勤続的な記録の意味を語ってくれるレジェンドがいる。王貞治・現ソフトバンク球団会長だ。
通算868本塁打、通算2170打点などのプロ野球記録や数々のタイトルより「自分のなかで最も誇れる数字」としたのが、2831試合という通算出場記録だ。
この数字は1位の谷繁元信さん(横浜=現DeNA、中日)の3021試合、野村克也さん(南海=現ソフトバンクなど)の3017試合に次ぐ歴代3位の記録だ。
なぜ一番誇れるかというと「チームに必要とされた証し」だからだそうだ。本塁打を打てるかどうか、あるいは打点を挙げられるかどうかは相手投手やチームメートら周りの環境に左右されるものだが、試合に出るということ、特にレギュラーとして先発するということは監督やコーチの絶対的信頼をベースにしている。そこには選手としての揺るぎない評価が表れている、とみることができる。
選手である以上、だれもが試合に出たいが、実力がなければ出られない。故障をしても出られない。
■心技体すべて維持してこそ
考えてみれば、技術、体力、気力を維持して出続けることが、プロフェッショナルとしては一番大事なことで、一番難しいことかもしれない。
イチロー(オリックス、マリナーズなど)のもっとも非凡な部分も、走攻守においてトップのスピードを保ちながら試合に出続けた、というところにあるのかもしれない。
1000試合登板も、その意味で紛れもない大記録といえる。
岩瀬が長年務めてきた抑えのポジションはかつて、3年限界説が定説になっていたものだ。肩のケアやトレーニング方法が進歩した今は、故障のリスクも抑えられ、長く続ける投手が増えているが、なにせ生身の体のこと。日常から細心の注意を払わなければ、到底おぼつかない記録だ。
救援の適性を見いだした山田久志コーチ(当時)は酒を飲まない岩瀬なら、毎日登板ができると考えたという話が伝わっているが、要するに生活のすべてを野球にささげられたことが岩瀬の才能だったといえるかもしれない。
本塁打や奪三振などの派手な記録と違って、通算登板や通算出場といわれても、どこまですごいのか、なかなかぴんとこないものが正直ある。自ら選手生活を経験し、その厳しさを知る者、つまりプロ中のプロしか、その値打ちを深いところで理解することはできないのかもしれず、だからこそ大記録なのだといえよう。