「勇退」決断 広島・新井のチームへの思い
編集委員 篠山正幸
勝負どころでの強烈なスイング、何とか塁に出たい、というときの右打ち……。さほどの衰えは感じられず、選手仲間もまだやれると見ていたなかで、広島・新井貴浩(41)は今季限りでの引退を決断した。育ててもらった広島の今後を思えばこその選択だったようだ。
「僕がいうのもアレだが、まだまだできると思うし、チームにも必要な存在」(石原慶幸)
「まだまだ一緒にできると思っていた」(会沢翼)
選手たちは口々に、早すぎる引退に驚きの言葉を口にした。
兄貴分と慕っていた菊池涼介は野性的な直感からか、進退を考慮していることを「うすうすと感じていた」そうだ。その菊池にしても、いざ、現実となってみると「信じたくない。(まだまだ)できると思うし、やってもらわないと困ると思っていた」と喪失感を隠せない。
恒例となったキャンプ地の坂道ダッシュや、個人ノックなど、若いときと変わらないような宮崎・日南キャンプのメニューをこなして臨んだ20年目の今季。引退の「い」の字も予感させるものはなかった。
8月9日の中日戦(マツダスタジアム)では2-2の延長十一回1死から代打で出て、右前打で出塁。菊池のサヨナラ打のお膳立てをした。引退表明後の9月11日には代打で適時打を放った。
■交流戦終わったころから意識
戦力としても、チームリーダーとしてもまだ役目は終えていなかったが、本人は交流戦が終わったあたりから、引退を意識し始めていたという。
交流戦終了時点で打率2割3分3厘、3本塁打、15打点。少し寂しい成績ではあった。
しかし「引き際」を考え始める契機になったのは個人成績より、順調に3連覇への歩みを進めるチーム全体の状況の方だったかもしれない。
交流戦は毎年セ・リーグのチームにとって鬼門となる。ここでペースを乱し、失速するケースもある。広島はここを無難に乗り切った。その時点で2位DeNAに4ゲーム差をつけ、首位の座をキープしていた。今年もどうやら優勝に向けて安定した戦いができそうだ、となったときに、胸中に変化が起きたのかもしれない。
新井が球団に引退の意思があることを告げたのは8月だったという。球団は慰留したが、気持ちは変わらなかった。
「チームの2年後、3年後、5年後を考えると、今年でいいんじゃないのか……」。5日、マツダスタジアムで行われた記者会見で、新井はそう話した。
背番号「25」を着たお客さんは本拠地に限らず、多い。そのファンを喜ばせることがなかなかできなくなってきたこと、そして若手の成長を新井は決断の理由に挙げた。
丸佳浩が太腿を痛め、4月終わりから1カ月近く離脱したときに、野間峻祥が外野の一角を埋め、そのままレギュラーに定着した。「新しい力が出てきた」と実感したという。こうした新陳代謝が広島の強さを支えていることを知る新井は「(自分が去ることで)若い選手はチャンスと思ってほしい。そこで競争が生まれ、カープの強さにつながる」と言った。
野間以外にも他チームなら常時出られそうな選手が、出番を待っている。次代を担う選手のためにも椅子を一つ空けよう、ということのようだった。
頑健さを誇った肉体だが、今季はふくらはぎのけがで出遅れた。それも理由の一つだったかもしれない。
言うまでもなく、ユニホームを脱ぐということは選手生活最大の決断だ。
歴代の大打者のほとんどが、技術を極められないまま終わったというコメントを、引退に際して残している。「新井さんは?」と尋ねるとやはり同じ答えだった。「バッティングにはこれでいいというものはないと思うし、この年齢になってもまだ新しいものがあるんじゃないかと思ってやっている」
1日でも長くプレーし、新しい技術を求めたい――。引退するということは、そんな選手としての本能を断ち切ることにほかならない。
そうしたことも考え合わせると、新井は気を使いすぎという気もしないではないが、球団やファンへの恩義からして、本人としては当然の結論だったのかもしれない。
■15年開幕戦「忘れられない」
新井は2015年、地元でのヤクルトとの開幕戦のことを「忘れられない」と語った。七回代打で登場すると球場はお帰りなさい、という歓迎ムード一色に。
「そこまで応援してくれるとは思わなかった」
地元広島生まれで、広島工高まですごした生粋の地元選手。08年にフリーエージェント(FA)で阪神に移籍する際は、当然の権利を行使しただけだったのにもかかわらず、涙を流した。
02年オフ、松井秀喜さんが巨人からメジャーに移籍するときに「たとえ裏切り者といわれても」という言葉を残している。その言葉こそ新井は使わなかったが、育ててもらった広島を出るにあたっては、外からは推し量ることができない心苦しさがあったのかもしれない。
阪神でなかなか活躍できなかった自分に、復帰の道を用意してくれた広島と、思いもよらないほど温かく迎えてくれたファン。その感謝の気持ちにもまた、想像できないほどのものがあっただろう。
復帰以来の新井はチームの力になれなければ、すぐユニホームを脱ぐという決意で、一年一年を過ごしてきたという。くれぐれもチームの足を引っ張ってはならない――。そんな気持ちがチームへの気遣いと、自分への厳しさとなり、惜しまれる決断へとつながったようだ。
3連覇を置き土産に、鮮やかな勇退劇を飾ろうという新井。まだ戦いは残されているが、指導者として帰ってきたときに、チームへの思いがどんな形で出てくるか。ちょっと先走り気味の興味もわく。