写真でみる平成の総裁選
自民党総裁選ライブ
2018年の自民党総裁選はおそらく平成最後の総裁選となる。野党に転落していた一時期を除いて、自民党総裁を選ぶことは次の首相を選ぶことと同じ意味があった。日本政治を彩った権力闘争の歴史を、写真で振り返る。
12年総裁選で安倍晋三首相は返り咲き、首相への切符を再び手にする。ただ1回目投票は石破氏が党員票で安倍氏を大きく上回り、決選投票での逆転勝利だった。今回、議員票で圧倒的優位に立つ首相陣営は党員票でも圧勝をめざした。
安倍VS石破の原点 平成Politics30
09年は衆院選敗北で野党となった自民党を再建するリーダー選びの総裁選だった。新総裁に就いた谷垣禎一氏は3年後、野党党首のまま退くことになる。
なぜ「野党総裁」は首相になれないのか
石破氏にとって08年は総裁選に初挑戦した年だった。結果は現副総理・財務相の麻生太郎氏の大勝。このとき石破氏は議員票、都道府県連代表の地方票ともに麻生氏に遠く及ばなかった。総裁選が終わると石破氏は派閥政治を批判。旧小渕派(現竹下派)を抜けて無派閥となり、4年後に打って出る。
自民総裁選「負けに不思議の負けなし」
07年で勝利したのは福田康夫氏だったが、予想を上回る得票をした麻生氏が存在感を示した。国会のねじれで厳しい政権運営を強いられた福田氏は翌年に内閣改造・党役員人事を断行。麻生氏を幹事長に就ける。
06年は「麻垣康三」と呼ばれた4人の総裁候補のうち、福田氏を除く3人の争いとなった。大差で制したのは安倍氏。第1次内閣は順調な滑り出しをみせるが年金問題や閣僚の政治資金問題でつまずく。
砕けた自信、挫折を教訓に 第1次内閣、突然の辞任
今回の総裁選で竹下派は衆院と参院で一致結束した行動をめざしながら挫折した。派閥内の権力闘争を背景に、衆参の対応がずれたのは03年総裁選からだ。この15年、一本化して戦えたことはない。
竹下派分裂投票、15年前から
01年は「自民党をぶっ壊す」と叫び、地方票で大差をつけた小泉純一郎氏が勝利した。都道府県ごとに3票が割り振られ、予備選で1位になると総取りできた。地方票の結果が明らかになるにつれ、最大派閥の橋本派(現竹下派)が推した橋本龍太郎氏は議員票を失っていった。
派閥が壊れた 小泉首相誕生
1999年は現職首相の小渕恵三氏に2人が挑んだ。予想を上回る113票をとった加藤紘一氏は次の首相への自信をつけ、2000年、森内閣の倒閣を目指して「加藤の乱」を起こし、挫折する。小泉内閣で幹事長、副総裁を歴任した山崎拓氏はいまは引退しているが福岡市で開いた石破氏の街頭演説に姿をみせた。
加藤の乱で遅れたネット政治
98年、梶山静六氏の陣営で原動力となったのは派閥を超えて集まった若手議員。第4次安倍内閣にいる菅義偉官房長官、小此木八郎防災相、河野太郎外相、野田聖子総務相はその中心だった。
金融危機、白熱の政策論争
のちに長期政権を築く小泉氏が初めて挑んだ総裁選が95年だ。このときは現職の河野洋平氏が出馬を断念。衆院で第4派閥ながら、ベテランと中堅若手組の2つに分けて派閥連携の体をつくった小渕派の橋本氏が勝利した。
自民党にとって、野党に転落した93年の総裁選は、勝っても次の首相になれない初めての選挙だった。
「55年体制」崩壊20年 野党転落で見えた風景
91年、宮沢喜一氏は最大派閥、竹下派の支持を得て総裁の座に就いた。竹下派が次の総裁選びで決定権をもった時代だった。
最大派閥、最後の決定権
89年は竹下内閣がリクルート事件で倒れ、宇野内閣がスキャンダルのため2カ月で退陣したあとの総裁選だった。派閥に逆らいながら推薦人を集め、立候補した石原慎太郎氏はのちに東京都知事になる。
23年ぶりの勝負、石原新党がめざすもの