海外G1初制覇から20年 日本調教馬のレベル向上
1998年8月9日にシーキングザパールが日本調教馬としてフランスで初めて海外G1を制し、その翌週16日にもタイキシャトルが仏G1を勝った日本の競馬界にとって歴史的な夏からちょうど20年。この間、調教技術の向上や血統の改良によって日本調教馬は強くなり、海外でG1を勝つことも珍しくなくなった。条件馬を含め、全体が底上げされ、国内では条件クラスでくすぶる馬が、海外の重賞級のレースで好勝負するケースもみられるようになった。現役のまま海外にトレードされる馬も増えている。日本調教馬の国際的な存在感が高まった20年だったといえる。
■日本のホースマンが得た自信
避暑地として有名なフランスのドーヴィル。20年前、この町にある競馬場で、日本調教馬による2週連続の海外G1制覇という快挙が達成された。まずシーキングザパールがモーリス・ド・ギース賞に優勝。先行して押し切り、2着馬に1馬身差をつける完勝だった。日本国内でもG1優勝経験のある実績馬で、中位や後方に構えて鋭い末脚を生かすレースが得意だった。フランスでは全く違う戦法で勝ったが、騎乗していた武豊はレース後、「自分のペースでリラックスしていけた」と振り返った。
翌週にはタイキシャトルがジャック・ル・マロワ賞に優勝した。遠征前の期待度は、シーキングザパールよりこちらの方が大きかった。このレースに出走した時点で、日本国内での戦績は10戦9勝2着1回。G1で3勝を挙げ、短距離戦線の不動の王者だった。遠征直前の98年6月の安田記念(G1)も不良馬場で圧勝。フランスでも単勝1.3倍の圧倒的な1番人気に支持された。先行してしぶとく伸び、欧州の強豪との競り合いを制し、見事に期待に応えた。
「ほかのホースマンの励みになれば」というモーリス・ド・ギース賞優勝後の武豊の言葉通り、この夏の2勝が日本の競馬関係者に与えた自信は大きかった。以後、海外での日本調教馬の活躍が目立つようになる。翌99年にはエルコンドルパサーがフランスへ半年にわたる長期遠征を敢行。G1を含む重賞2勝を挙げた。惜しくも半馬身差の2着に敗れた凱旋門賞(G1)も、逃げて一旦は後続を突き放し、優勝を意識させる場面もあった。ほかにもアグネスワールドが99、2000年に英・仏の短距離G1を2勝した。
アグネスワールドまでの海外G1馬4頭は全て外国産馬だった。日本産の日本調教馬で初の海外G1勝ち馬となったのは、01年12月に香港ヴァーズを勝ったステイゴールド。その後、05年にシーザリオが米国でアメリカンオークスを、ハットトリックは香港マイルを勝った。いずれも91年に米国から種牡馬入りしたサンデーサイレンスの子や孫だった。以後、サンデー系の日本産馬を中心に日本調教馬が海外で活躍。16年には海外重賞で8勝を挙げるほどになった。
日本調教馬が強くなった要因は2つある。まずは調教技術や施設の進歩。80年代後半から坂路やウッドチップ(木くず)の調教コースが東西のトレーニングセンターに導入され、脚元に優しく、かつしっかりと負荷をかける調教ができるようになった。こうした施設を使った調教ノウハウが年々積み重ねられたことに加え、休養期間を過ごす牧場などの調教施設の充実も進み、日本調教馬全体の強化につながった。
もう1つは国内で走る馬の血統の質の向上だ。サンデーサイレンスのほかにも、トニービンやブライアンズタイムなど、優秀な種牡馬が海外から導入された。特にサンデーサイレンスの躍進が顕著で、種牡馬入りする子供も多かった。これに伴い、サンデー系と相性のいい、違う系統の血を持つ優秀な繁殖牝馬も数多く輸入された。父系、母系ともに世界的な血統馬が集まり、日本産馬の質は著しく向上した。
■下級条件馬が海外で重賞制覇
質の向上はトップクラスの馬に限らない。近年は日本の下級条件馬が海外の重賞級のレースで好走するケースもみられるようになった。16年には古馬の下から2番目にあたる1000万条件の馬だったエイシンエルヴィン(牡7)がフランスの準重賞を勝利。18年7月にはジェニアル(牡4)がフランスのG3を勝った。同馬は日本国内で古馬の最下級条件にあたる500万条件に属していた。母が仏オークスなどG1で3勝を挙げたサラフィナ、父がディープインパクトという血統馬とはいえ、最下級条件の馬が重賞を勝った事実は日本馬全体のレベルアップをはっきりと示した。
こうした流れを受け、海外の競馬関係者の日本調教馬に対する関心は高まっている。近年、増えているのは、海外の馬主が日本の現役馬を買い、海外で走らせるケース。特にオーストラリアへの移籍が目立つ。国内ではG3の2勝にとどまっていたトーセンスターダム(牡7)は、16年にトレードされると、17年に豪州のG1を2勝した。移籍前は重賞1勝どまりのブレイブスマッシュ(牡5)も17年の豪州移籍後にG1を制している。2頭とも国内のG1では実力不足だったが、海外ではタイトルに手が届いた。その後もオーストラリアへの移籍はさらに増えており、重賞2勝のアンビシャス(牡6)、15年の日本ダービー2着馬サトノラーゼン(同)などが活躍の場を移した。今年に入ってからも、重賞戦線で活躍しながらも重賞未勝利だったトーセンバジル(同)などに加え、条件馬も複数、海を渡っている。
短距離戦が盛んなオーストラリアは中長距離を戦う層が薄く、この層が厚い日本馬へのニーズは高い。栗東のある有力調教師は「オープン馬だけでなく、条件馬にも1億円規模のオファーが届いた」と明かす。レベルの底上げされたいまの日本調教馬は海外の関係者からも魅力的に映るようだ。日本を代表する実力馬が海外G1制覇に挑んだ20年前と比べると、日本と海外競馬の関係は様変わりしたといえる。
(関根慶太郎)