オウム林死刑囚、教団の闇担う 「今でも心を見失う」
松本、地下鉄両サリン事件に関わり、26日に刑を執行されたオウム真理教元幹部、林(現姓小池)泰男死刑囚(60)は、その他の非合法活動でも中心的な役割を果たしたとされ「教団の闇を知る男」「最も危険な男」と呼ばれた。教団に捜査のメスが入った後も約1年半にわたって逃亡を続けたが、公判では謝罪と反省の言葉を繰り返した。
林元幹部は高校を中退した後、定時制高校に再入学。アルバイトをしながら工学院大学の夜間部に通い、電子工学や電子回路理論などの研究に取り組んだ。卒業後は定職に就かず、中南米や東南アジアを旅行。体調を崩し死後の世界に関心を深めていた時に松本智津夫元死刑囚の著書に触れ、1988年に出家した。
教団では90年ごろから盗聴活動やロシア射撃ツアー、軍事キャンプ、サリンプラント建設などの違法行為に関与し、松本元代表への忠誠心は人一倍強かったという。身辺警備班や特殊工作グループに所属して教団の「科学技術省」ナンバー3の地位に就き、94年の松本サリン事件では犯行に使われた噴霧車の製造に関わった。
95年3月の地下鉄サリン事件では、教団の故村井秀夫幹部が「袋は全部で11袋ある。1人だけ3袋になる。誰がやってくれるか」と呼び掛けた際、引き受けたのが林元幹部だった。林元幹部が列車内でサリンをまいた日比谷線では同事件で最多の8人の犠牲者が出た。当時の捜査員は「松本元代表への忠誠心をアピールするためだったのではないか」とみている。
教団に強制捜査が入った後、恋人の女性信者と共に逃亡生活を続け、96年12月に沖縄の石垣島で逮捕。供述に基づいて、隠匿されていた改造短銃や猛毒物質のVXが入った瓶が発見された。
97年6月の初公判では「逃亡中も罪の重さに心をさいなまれていた」「オウムは脱会している」とし、頭を下げて謝罪。一審公判の最終弁論では「自分がしたことを思うと今でも心を見失ってしまう。殺意や動機がいかなるものであろうと、死刑判決を受けると思っている」と語った。
林元幹部の弁護人を務めた阿部正博弁護士と吉田秀康弁護士は26日、連名でコメントを発表。「一審の法廷で述べたように、被害者と遺族に心から謝罪の念を持っており、現在に至るまでその気持ちは変わっていなかった」と強調。「犯行後、完全にオウム真理教から脱会し、後継といわれている各種団体とは全く関係を持っていない。入信前から最後まで心優しい青年であり、執行は残念でならない」とした。