「不滅の三振記録」から見える選手の実像
スポーツライター 浜田昭八
プロ野球にはペナント争いとは別に、個人記録に注目する楽しみもある。さまざまな個人記録とタイトル争いが、ファンの興味を引きつける。記録好きの米国人らしい話題が、このほど米大リーグの公式サイトに現れた。
「不滅の記録」である。長い歴史がある米大リーグだが、この記録は破られることはないと思われる17の個人記録が選び出されたのだ。そこにはイチローが2004年にマークした「シーズン262安打」、ピート・ローズの「通算4256安打」、カル・リプケンの「2632試合連続出場」などが、さん然と輝いている。
■シーウェルの「シーズン3三振」
それらに交じって、極めて興味深い"最少記録"がある。ジョー・シーウェルが1932年に残した「シーズン3三振」だ。1試合中に3三振する打者はザラにいる。1年でわずか3三振とは一体どういうことか。出場試合、打席数が少ないのではないかと想像した。32年といえば昭和7年。米球界の体制も記録も、ちゃんと整備されていたのかと疑問に思えた。
シーウェルは20年から33年まで14シーズン、インディアンスとヤンキースでプレーした内野手。32年はヤンキースでベーブ・ルース、ルー・ゲーリッグと一緒にプレーした正三塁手だった。3三振はなんと125試合出場、576打席で記録したものだった。どれほど選球眼に優れ、バットコントロールがよかったのか、想像もつかない。
この年は打率2割7分2厘だったが、実働14シーズンで10度、打率3割をマークしている。500打席以上に立った12シーズン中、三振が1桁だったのは8度。ヒットエンドランなど機動攻撃を仕掛けるのに、これほど重宝な選手はいなかったのではないか。通算打率3割1分2厘は光るが、それ以外に突出した通算記録は残していない。それでいて野球殿堂入りしている。チームプレーに徹した姿勢が高く評価されたに違いない。
わが球界にも、三振が少ないので知られた打者が何人かいる。シーズン最少三振記録はセ・リーグが51年の巨人・川上哲治、パ・リーグが同年の大映・酒沢政夫の各6。ともに100試合出場、500打席に達していない記録だった。しかし、両打者とも500打席を超えたシーズンにも三振は少なく、目がよくてミートがうまい点で群を抜いていた。
年間の三振数よりも、わが球界では「連続打席無三振」を、三振しない打者の評価基準にする傾向がある。そこで最高記録を残しているのがイチローだ。オリックスで4度目の首位打者になった97年のことだった。4月から6月にかけて「連続216打席無三振」を記録した。135試合フル出場、607打席で36三振しただけだから、この年にイチローの三振を見た観客は、まさに「珍しいものに巡り合った」といえるだろう。
■本塁打王が持つ"四球王"の顔
セでは阪神・藤田平が78年に208打席、吉田義男が64年に179打席連続無三振の記録を残している。2人ともボールをよく見極める、相手バッテリー泣かせの打者だった。だが、吉田によると「それが、ボクの欠点でもあった。当てるのがなまじよかったので、不調時には内野ゴロでよく併殺を食った」とのこと。
皮肉なことに、この2人がそれぞれ阪神の監督を務めたとき、主力打者に2人の"三振男"がいた。新庄剛志と桧山進次郎だ。藤田が監督だった96年は新庄106、桧山108、合わせて214三振。97年の吉田監督のもとでは新庄120、桧山150の計270三振。売り出し中の若手2人を「振れ。当てるだけではダメ」と督励した両監督だが、「三振の数だけは外国人並みだな」と嘆くようになっていた。日本人の主力打者コンビで計270三振も"不滅の珍記録"といえるだろうか。
フルスイングするスラッガーにとって、三振が多いのは"勲章"であるともみられている。最近では高校球児も「スイングしろ」と指導されている。大きく育てるために、悪いことではない。ただ、この事実を知ってほしい。868ホーマーという不滅の大記録を打ち立てた王貞治は、ただバットを振り回していたわけではない。通算2390四球を得た"四球王"でもあった。=敬称略