サッカーW杯が示す国別対抗戦の醍醐味
編集委員 北川和徳
サッカーのワールドカップ(W杯)はなぜわれわれをひきつけるのだろう。試合のレベルだけなら、各国代表のスター選手が同じチームに集い、シーズンを戦う欧州のビッグクラブ同士の対戦の方が技術も高く洗練されている。だが、W杯の各国代表の戦いは、それ以上にしばしば心を揺さぶる力を持つ。
歴史や文化、国民性が代表のプレースタイルや戦術の選択に反映され、応援する側のアイデンティティーにも関わってくるからだろう。ブラジルはサンバのリズムに乗った軽やかなプレーで魅了する。ドイツは質実剛健、フランスは個性豊かで自由闊達、スペインは流麗で華麗、ウルグアイはうまさとともに一瞬のすきをつくしたたかさを持つ。かなり勝手な思い込みだが、そんなイメージが時代とともに徐々に変化していくのも面白い。
われらが日本代表の戦いは、優勝候補ベルギーとの激戦に敗れて終わった。日本もベルギーも意味もなく倒れたり、ファウルを大げさにアピールしたりするような見苦しいプレーをしない。日本人好みのナイスゲームだった。勝てると思わせてくれただけに悔しさは募るが、本当に楽しませてもらった。ただ、2点先制のリードを守り切れず、終了間際の速攻にやられて失点するところなどは、いつもの日本の詰めの甘さ、人のよさがまた顔を出したと思った人も多いだろう。
■日本人のイメージ覆すたくましさ
日本が1次リーグ突破を決めたポーランド戦では終盤の戦い方が物議を醸した。負けているのに攻めようとしないで時間稼ぎをする姿には、潔さを好む日本人の大多数が抵抗を感じたようだ。一方で、会場全体からブーイングを浴びながらも退屈なボール回しに徹した選手たちには、空気を読んで正しく行動したがる日本人のイメージを覆すたくましさを感じた。
「あんな代表の戦いは子供に見せられない」と怒る人がいれば、「国際社会で勝ち抜くにはずるさやしたたかさも必要」「屈辱に耐えてやるべきことをやり抜いたのは立派だった」といった意見もある。どちらの肩を持つかは、持って生まれた性格やそれぞれの立場、人生の経験によって培われた価値観によって分かれる。「正解」を求めるようなものではない。
海外メディアも日本の戦いぶりには批判的だったが、それを気にするのも潔癖な日本人らしい。ベルギー戦の大健闘で海外の論調など一変するだろう。程度の差こそあれ、よく似た無気力試合はW杯の勝ち上がりを決めるリーグ戦ではしばしば起きている。ほとんどの国が戦いを放棄することで確実に勝ち残れるなら、そちらを選ぶはずだ。
むしろ彼らが理解できないのは、日本代表が自らがコントロールできない他会場のセネガルとコロンビアの対戦の結果に命運を預けたことではないか。
それができるのもまた日本人らしいのかと思ったりした。他国の侵略より地震など自然災害に苦しんできたわれわれは、運命に任せる、といった諦観の境地に至りやすいのでは……。さすがに想像を広げすぎか。もちろんここにも正解などない。
W杯を見ながら、そんなことを、ああでもない、こうでもないと思い巡らすのが楽しい。しょせんスポーツ、されどスポーツ。命を失う戦争とは決定的に違う。サッカーに限らない。スポーツの国別対抗戦の醍醐味だと思う。
(2020年東京五輪開幕まであと751日)