理不尽な指導から決別を 自立した選手育てよう
編集委員 北川和徳
日本大学アメリカンフットボール部が起こした悪質タックルの問題で個人的に最も残念だったのは、選手の人格をまるで認めない指導がチーム内でまかり通っていたことだった。おまけにそのチームが2017年の学生日本一という結果も残していた。
理由も告げずに試合のメンバーから外す。せっかく選ばれた日本代表にも行くなと命じる。精神的に追い込むことによってむちゃな指示にも従わせようとする。そんな試練が選手を成長させると考える――。関東学生連盟は日大の内田正人前監督らを除名とした処分で「どんな理不尽でも『はい』と答えるのが内田フェニックスの掟(おきて)だった」とまで言い切った。
スポーツ界の一部にゆがんだ上意下達の支配が残るのを知らないわけではないが、学生日本一になったチームの実態がそうだったとわかると気分が悪くなる。
■ある程度までは強くなっても…
日大アメフト部に限らず、こうしたやり方で結果を出す指導者は少なくない。高校や中学の部活動レベルだとさらに増えるだろう。強権的な指導者が交代した途端に弱くなるチームもしばしば目にする。スポーツの世界の外に目を向けても、子どもの教育や会社の研修などで「強くするため、立派に育てるためには、理不尽な試練が必要だ」と信じる人は意外に多い。
それがまた悩ましく、悔しい。この騒動の最中に、5月25日付本紙朝刊スポーツ面のコラム「サッカー人として」を読んで、思わず手をたたきたくなった。
筆者の三浦知良氏も、そんな組織がある程度までは強くなることを認める。そして「『理不尽』の限界」をシンプルにこう主張する。「そのやり方でJ3からJ2、J2からJ1へと上がっていくのはできても、J1優勝となると難しいよ」。結局はレベルが低いのである。
J1優勝だとイメージしづらいのだが、私にもワールドカップの優勝が監督の指示にただ服従するだけの選手たちによってなし遂げられるとは絶対に思えない。
厳しい指導や練習の効果は否定しないが、理不尽さは排除したい。なぜそれが必要かという理由を納得できないまま追い込まれたところで、その先の自発的な成長にはつながらない。中学生や高校生ならまだレベルが低いから許されるという問題でもない。
日大アメフト部の目標は甲子園ボウルで日本の学生王者となり、さらに社会人ナンバーワンと日本一を争うライスボウルに勝つことまでだったろう。国内で閉じている。本場の米プロフットボールNFLで活躍したいと夢見る選手がいても、それを応援する雰囲気など指導陣には皆無だっただろうと想像できる。アメフトでは米国の最新のトレーニングや戦術、選手管理などを学ぶチームも多い。厳しい言い方になるが、他の大学チームは内田フェニックスのようなやり方のチームを学生王者にしたことを、自分たちのアメフトのレベルの低さを示した屈辱と考えるべきだ。
■選手の自立性・自主性どう育むか
柔道男子の日本は2年前のリオデジャネイロ五輪で全階級でメダルを獲得する結果を残した。先日、井上康生代表監督の講演を聞いた。井上監督は選手が強くなる要素の一つとして「創意」を挙げる。具体的には「自主性と自立性」「創造性や考える能力の源『知識力』」「情報力と柔軟性」と説明する。「創造性や考える能力がなくては伸びていかない。重要なのは自立性と自主性を持った選手を作り出すことです」。選手がさまざまな分野の人々の話を聞いたり、新たな経験をして知識、情報を得たりすることが、能力をさらに引き出すためには欠かせないという。
2000年シドニー五輪の金メダリストである井上監督は、昔ながらのスパルタ式の指導で育てられたアスリートといえるだろう。シドニー五輪の4年後のアテネ五輪では日本選手団の主将を務め、絶対的な金メダル候補とされながら惨敗した苦い経験も持つ。「柔道の世界の知識だけではそれまでと同じ発想しか生まれない。新たな経験をしてそれを自分に当てはめることで、いろいろな考え方を持てるようになる。選手、また子どもたちの能力は無限にあると信じている」
平昌冬季五輪では日本のメダリストたちの強さだけでなく、表現する力も楽しむことができた。自ら考え、悩み、試行錯誤しながら成長を続けるアスリートが本当に増えてきた。
レベルの高さの表れだと考えている。すべての競技とまではいえないが、世界はどんどん進化して強くなっている。自立したアスリートでなければ戦えない時代になった。それはスポーツに限ったことではないだろう。
(20年東京五輪開幕まであと779日)