日大アメフト問題の本質にある「ゆがんだ構図」
編集委員 北川和徳
アメリカンフットボールの試合で日大選手が犯した悪質な反則タックルは、日本のスポーツが抱える深刻な問題を浮き彫りにした。指導者と選手のゆがんだ支配の構図。レスリングの伊調馨(ALSOK)に対するパワーハラスメントにも共通するものだ。
前代未聞の反則タックルをした選手は22日、記者会見して、日大のコーチ陣を通じた内田前監督の指示による反則であることを認めた。
陳述書にまとめられた内容は具体的で生々しい。日大側の「指導と選手の受け取り方に乖離(かいり)があった」とする弁解は、とても成立しないと思う。
アメフトの日大フェニックスは昨季、甲子園ボウルで関西学院大を下して27年ぶりに学生王者に返り咲いた。世代別の日本代表に選ばれているこの選手も出場して活躍した。内田氏にとっては監督として初めての学生日本一だった。
内田氏は日大の常務理事として人事を担当し、大学の各運動部を束ねる保健体育審議会の局長でもある。フェニックスの現役部員たちは自身にとっても大学にとっても悲願をなし遂げてくれた学生たちだ。ところが、今回の問題では、監督にも日大当局にも彼らに対する感謝やリスペクト(敬意)は微塵(みじん)も感じられない。
日大は最も大切な在校生や学校の将来ではなく、学内の実力者である内田前監督の立場を必死で守ろうとするばかり。組織のガバナンスや危機管理の視点からも酷評されている。
上意下達の意識が強いこの国のスポーツ界には、今回のケースに限らず、高圧的に選手を意のままに動かそうとする指導者が少なくない。
選手が自ら考えることも、意見を述べることも禁じ、ただ服従を強いる。論外ともいえる暴力行為すらしばしば発覚する。こうした関係は徐々に減ってはいるが、典型的なパワハラ体質を持つ監督、コーチとの理不尽な関係は、中学・高校の部活レベルを含めて特に学生スポーツではまだ多くの競技に存在する。
技術や道具、トレーニング方法の進化で、ほぼすべての競技で以前よりレベルは上がっている。自身の現役時代をはるかに上回るパフォーマンスができる選手に対しても、こうしたタイプの指導者は常に「上から目線」で支配しようとする。
結果が出れば、それがまた「厳しい指導のたまもの」と評価され、「名伯楽」などと持ち上げられるから始末が悪い。「自分が育てた」「自分のおかげ」という雰囲気をまきちらす指導者がなんと目立つことか。
会見した選手は「フットボールを始めた高校の頃はとても楽しかったのに、大学の厳しい環境になって楽しくなくなった」とも話した。勝負や結果にこだわる指導者のせいで嫌いになり、競技から離れたり、潰れたりしていく選手は決して少なくないだろう。
もちろん、指導する相手と同じ目線に立ち、最新の情報を勉強してそれを伝え、選手の精神的な支えにもなる立派な監督やコーチだってたくさんいる。
そうした指導者に共通するのは、信頼され、尊敬されていると同時に、教え子が自ら成長するように促し、彼らを競技者としても人としてもリスペクトして扱っていることだ。
2020年東京五輪・パラリンピックでは、そんな健全な環境で育った自立したアスリートのはつらつとした活躍を楽しみたい。今回の騒動をきっかけに、指導者と選手が互いにリスペクトする関係が日本のスポーツ界の常識となることを望みたい。
(20年東京五輪開幕まであと794日)