帰ってきた「日本製鉄」 複雑な社名の歴史
日本を代表する重工業企業、新日鉄住金が2019年4月1日に「日本製鉄」に社名を変更すると発表した。戦後、再編を繰り返してきた同社。社名を巡る歴史も複雑だ。
1970年、八幡製鉄と富士製鉄の合併で誕生した新日本製鉄。八幡と富士はそれぞれ戦前の34年に発足した国策会社「日本製鐵」が、戦後の財閥解体で50年に誕生した会社だ。新日鉄住金の社名は先祖返りをするようだが、実は微妙に違う。戦前の会社が「にほん」の読みだったのに対して、新社名は「にっぽん」となる。
16日の記者会見で新日鉄住金の進藤孝生社長は、戦前の「日本製鐵」については「意識せずに決めた」と語った。
「鉄」の字は、戦前の会社はもちろん、新日本製鉄や2012年にできた新日鉄住金でも正式には旧字の「鐵」だったが、新社名では新字になるのが目新しいところだ。
日本語では日本製鉄が約70年の時を経て復活するように見えるが、海外から見ると印象は異なるだろう。12年に旧住金と合併するまで新日鉄の英語社名は「Nippon Steel」。新社名は後ろについていた「& Sumitomo Metal」が外れて再びNippon Steelになる。
新日鉄住金は多くのグループ会社があり、今回の社名変更にあわせて新日鉄住金ソリューションズが「日鉄ソリューションズ」に変えるなど、各社が商号を変える。一方、日鉄住金鋼板のように、もともと「新」がつかない日鉄を冠した会社も多い。この違いは実は新日鉄時代の「序列」が関係している。それぞれ情報システム、化学、不動産など事業分野を代表する会社には「新日鉄」、それ以外には「日鉄」を使っていた名残だ。
「日鉄」がつくものの新日鉄住金の連結子会社や持ち分法適用会社ではない会社が、東証1部上場の日鉄鉱業だ。国内各地に石灰石鉱山を持つなど、新日鉄住金向けを含めた鉄鋼原料などを手掛けるが、戦前の日本製鉄から分離したという歴史的な経緯がある。
変遷をたどってきた新日鉄住金の社名だが、今回の変更で12年から続いていた1つの悩みが解消されそうだ。「住金」が旧住友金属工業であるとピンとくる人は、世間的にはそう多くない。たびたび「しんにってつじゅうきん」と読み間違えられたり、事情を知らない就活生などから「新日鉄の関連会社」と誤解されることがあった。合併後しばらくして、印刷物や広告などには「しんにってつすみきん」と平仮名も表記するなど、悩みは深かった。(檀上誠)