スカジャン刺しゅうピンチ 伝統ミシンの職人減少
神奈川県横須賀市で生まれた「スカジャン」の特徴である刺しゅうを、伝統的な「横振りミシン」で縫える職人が減少している。大量生産できる機械式ミシンによる刺しゅうが広がり、昔ながらの一点ものは危機的状況。老舗店舗からは「いつまで続けられるか」とため息も漏れる。職人技の後継者は良さを知ってもらおうと模索している。
2月12日、米海軍横須賀基地近くにある「ドブ板通り商店街」をスカジャン発祥の地と宣言したイベント。功労者として感謝状を贈られた老舗販売店「ファースト商会」の松坂良一さん(87)は上地克明市長や地元選出の小泉進次郎衆院議員に訴えた。「刺しゅう、縫製の職人が足りない」
横須賀市史などによると、スカジャンは戦後間もなく、米兵が持ち込んだ絹製のパラシュートの生地を染めてジャンパーを作り、タカやトラの刺しゅうを入れたのが始まりとされる。米兵の間で人気となり、「ヨコスカジャンパー」を略したスカジャンと呼ばれた。
商店街では現在、12店舗がスカジャンを販売し、どの店でも看板商品として並べられて店頭を鮮やかに彩っている。
松坂さんはジャンパーの製作から刺しゅうのデザインまで手がけ、横須賀発の一点ものにこだわってきた。その肝は横振りミシン。「刺しゅうが分厚く、迫力がある『本物』だ」と強調する。
針が左右に動き、その振り幅を調整して文字や絵を描くため、横振りミシンには熟練した技が必要となる。以前はどの店も織物産業の盛んな群馬県桐生市から職人を雇っていた。松坂さんは今も桐生市の職人に注文を続ける。
桐生刺繍商工業協同組合によると、機械式ミシンで刺しゅうが自動化されると徐々に衰退し、桐生市で約1万台あった横振りミシンは50台ほどにまで減少。横須賀市でも機械式刺しゅうの商品を扱う店が多い。
しかし、新世代の職人による新たな動きも出てきた。「横振りは職人の癖や感情が表れ、質感も豊かに表現できる」。横須賀市の田沼千春さん(38)は桐生市出身の父親の後を継ごうと2011年に横振り刺しゅうを始めた。14年に父親が急死した後は自らブランドを立ち上げ、1着約7万5千~10万円で販売する。
大きな刺しゅうだと1カ月に2着しか製作できず、生活は楽ではない。それでも活動の場を広げ、音楽イベントなどで実演して若者に技術力をアピール。今後は高く評価してくれる海外にも売り込むつもりだ。田沼さんは「父たちが持っていた技術の素晴らしさを伝えたい」と意気込んだ。〔共同〕