国内ライバル 躍進後押し メダル13個・入賞43
東京五輪へ弾み
25日に幕を閉じた平昌冬季五輪で、日本は自国開催だった1998年長野五輪の10個を超える史上最多13個のメダルを獲得し、入賞43も長野の33を上回って過去最多となった。2020年東京五輪に向けても弾みをつける大会となった。
氷上競技はフィギュアスケートの羽生結弦(全日空)の金1個だったソチ五輪から、スピードスケートの復活もあって金4、銀3、銅2と躍進を遂げた。
羽生と宇野昌磨(トヨタ自動車)や、スピードスケート女子の小平奈緒(相沢病院)と高木美帆(日体大助手)。両競技に共通して言えることは、日本勢同士の対決がそのまま頂上決戦になってもおかしくない高いレベルでの競い合いが、メダルの数にも色にも直結したということだ。
高木美は「国内で1000メートルでは勝てたことがないのでライバルというのは恐れ多い」と小平を尊敬しながら、「意識できる存在が近くにいるのはありがたい」。団体追い抜きも、主力だった押切美沙紀(富士急)がメンバーから外れるなど、国内の猛烈な代表争いがあった。層の厚さが生んだ金メダルといえる。
フリースタイルスキー・モーグルでは原大智(日大)が男子初の表彰台に立った。同年代の堀島行真(中京大)が昨年の世界選手権で2冠。「行真の方が成績が良ければ素直に喜べない」と対抗意識をむき出しに、金メダル候補だった堀島との立場を逆転させた。悲願のメダルは遠藤尚(忍建設)も加えた層の厚さの結晶といえた。
一方、ノルディックスキー複合の渡部暁斗(北野建設)は、個人ノーマルヒルの2大会連続銀メダルで実力は示したものの、ラージヒルではドイツ3選手の包囲網に屈し5位に沈んだ。「普段から警戒されてきた」と厳しいマークは今に始まったことではないが、孤軍奮闘の弱みが出た感もある。低迷したスキー男子ジャンプも4年間、若手の突き上げが乏しく、全体の地盤が沈下した。
世界に伍(ご)した競技には次に控える若手もいる。スピード女子団体追い抜きの金メダルメンバー、21歳の佐藤綾乃(高崎健康福祉大)は次のエース候補だ。平野歩夢(木下グループ)が銀メダルを獲得したスノーボード・ハーフパイプ(HP)では、16歳の戸塚優斗(ヨネックス)が今季ワールドカップ種目別王者になった。躍進を一過性に終わらせぬために、次の芽を育てる目線も欠かせない。
多くの競技が属する日本スケート連盟と全日本スキー連盟(SAJ)の切磋琢磨(せっさたくま)もメダル量産を後押しした。ソチ五輪で雪上競技が7個のメダルを獲得した一方、惨敗に終わったスピードスケート。教訓を生かし、所属先でバラバラに練習していたトップ選手を集めてナショナルチームを結成。日本スケート連盟の湯田淳スピード強化部長は「ソチで得た経験を必ず平昌に生かすと言って新体制を組んだ」と振り返る。
一方、4個と数を減らしたSAJの皆川賢太郎競技本部長は、「スケート連盟は何を、誰に、どう取らせたいのかが明確で、軸があった」と刺激を受けた様子だ。別団体でも参考にすべき点を互いに探り、盗んで血肉にする。東京五輪の強化でも同じことがいえる。
日本オリンピック委員会(JOC)は伊東秀仁総監督らが中心になってまとめる大会の結果分析をもとに、6月に夏冬両競技の強化担当者を集めた会議を開催する。山下泰裕JOC強化本部長は「20年に生かせるところはある。夏冬の競技が協力し、互いの成功、失敗を共有し合って心を一つにしていきたい」と話している。
(西堀卓司)