宮原「魔物はいなかった」 フィギュア女子フリー
23日の平昌五輪フィギュアスケート女子フリーで、メダルを期待されていた宮原知子選手(19)はあと一歩及ばなかったが、渾身(こんしん)の演技で見守る人々を魅了した。高校時代、卒業論文に選んだテーマは「五輪に魔物はいるのか」。演技後、「自分を信じて滑った。魔物はいなかった」と充実の表情をみせた。
21日のショートプログラム(SP)で4位につけた宮原選手は最終グループのトップ、鮮やかな青色の衣装で登場し、オペラ「蝶々夫人」の曲に合わせて滑り始めた。
冒頭の3回転ジャンプをしっかり着氷するとスピンも決め、会場のムードは徐々に上昇。観客の手拍子に合わせて軽快なステップを踏んだ。演技を終えると、両手を思い切り上にかざしガッツポーズ。自己ベストを更新する点数が表示されるとコーチと抱き合い、終始笑顔を見せた。
ただ、カナダやOAR(ロシアからの五輪選手)の3人が完璧な演技を披露。4位が決まると、悔しい表情を浮かべつつもメダリストと抱き合い、健闘をたたえ合った。
終了後のインタビューで「結果は悔しいが、やれることはやった。周りのサポートがなければここまで来れなかった。課題はたくさんあるけど、それを見直して次につなげたい」と話した。
「魔物」の論文は4年前のソチ五輪で出場を逃し、次こそは出たいと決めたテーマだった。論文の指導を行った松村湖生教諭(42)は「彼女ならではのテーマ。なんとしても五輪に出てやるという気概を感じた」。
多忙なスケジュールの合間を縫って、織田信成氏や荒川静香さんなどの五輪経験者に取材。体験談をまとめ、「魔物は自分自身が生み出すもの」と結論づけた。松村教諭は「五輪独特の雰囲気に圧倒されないよう、心の準備をする意味もあったのだろう」と振り返る。
松村教諭は23日、「これ以上ない演技。滑り終わった後の満足そうな表情に胸がいっぱいになった」と話した。「論文でもまとめていた通り、練習を重ねて自信をつけることで魔物を感じないまでに成長したのだろう」と感慨深げだった。
宮原選手の出身地、京都市では、NHK京都放送局(京都市中京区)のパブリックビューイング(PV)に午前10時ごろから住民らが続々と集まり、各国選手の演技を見守った。
4年前から宮原選手の父の友人らで作る後援会に参加している東京都世田谷区の主婦、佐伯孝子さん(56)は「一つひとつのスピンやジャンプがきれいで、失敗のない素晴らしい演技に感動した。最後にガッツポーズも見られて感無量だ」と興奮した様子で話した。