羽生選手栄冠 地元仙台のゆかりの人ら祝福
「ここに来るまでたくさんの人に支えられた。羽生結弦として育てていただいたことを感謝します」。17日の平昌五輪のフィギュアスケート男子で連覇を果たした羽生結弦選手(23)はさわやかな笑顔で周囲への感謝の言葉を語った。カナダに渡る高校2年まで仙台市で過ごした羽生選手の幼い頃を知る人々らは、郷土の英雄を祝福した。
「結弦は本当にすごいことをした」。小学校の頃から指導してきた都築章一郎コーチ(80)は興奮で声を弾ませた。「けがで苦しい中、力を出し切った。多くの応援を受けて重圧もあっただろう」とねぎらった。けがや東日本大震災など多くの困難を乗り越えてきたが、「これでまた新しい羽生結弦になった」と偉業をたたえた。
「演技後に大きくほえたり、うれし涙を流したり。あれほど感情を爆発させた羽生選手をみた記憶がない」。新井照生さん(54)は羽生選手が通った「アイスリンク仙台」の元支配人。小学校登校前の朝5時台にリンクに来て、夜も日付が変わる前まで練習を続ける少年の姿を見てきた。
練習の合間に事務室で、学校や家族、遠征先の海外のことなど、たわいもない話をしたことも。「世界を代表するスターの成長に関われたのは、とても貴重な時間だ」と感無量の様子だった。
「震災の時は大変だった。うちのリンクでこんな偉大な選手に育って、これ以上の幸せはない」。アイスリンク仙台の管理会社社長、加藤松彦さん(54)も自宅のテレビで演技を見て声を震わせた。東日本大震災の時はリンクも被災し、約1年間使えなかった。羽生選手は自伝の印税で、2千万円超をリンクに寄付。今も時々訪れて子供たちに手本を見せてくれる。加藤さんは「大変な恩返しだ」と感謝する。
羽生選手が卒業した東北高校(仙台市)。100人近い生徒が集まって声援を送った。
「感動した。なんとかこらえて着地したところもあった。よく4分半、体が持った」と話すのはスケート部顧問の佐々木遵さん(50)。「昔から礼儀正しく、授業も真面目に受けていた」という羽生選手。「やりたいことは次々と可能にしてきた。家族はじめ周囲の支えもあったが、何より本人の努力のたまものだ」とたたえた。