移籍かなわず…でもとどまることもまた挑戦
欧州のサッカーシーンは夏と冬の年2度、移籍市場が開き、選手はその期間だけ移籍が可能だ。契約期間が残っている選手を獲得する場合、違約金を支払うことになる。日本ではこれを「移籍金」と呼び、選手の価値を示す指標にもなっている。
通常、冬の市場は1月末に閉まり、駆け込むように移籍が成立する。そんな動向を見ながら僕は「自分ならどうする?」と考えを巡らせる。ベンチ外が長く続き、出場機会を求めて移籍する選手がいると、「自分ならどれくらい我慢できただろう」と思う。
「残留して粘った方がいいのか?」「移籍して当座は現状を打開できても、またどこかで同じ壁にぶつかるんじゃないか?」「ほかのクラブに可能性はなかったか?」。あれこれ考えては、自分にも訪れるかもしれない現実に備え、抗体を作っているようなところがある。
もちろん、僕の想像は、実際に移籍した選手たちの心情や真の現実には及ばないのだろう。しかし「自分なら」と想定し思索することで、「なぜここにいるのか」という覚悟のほどは確認できる。
プロになって13年余、僕は4つのクラブでプレーしてきた。その経験から言えるのは移籍は現状をリセットする有効な方法ということ。自分への固定観念を破壊し、新天地で新しい自分を見つける。そんな作業を繰り返し、ステップアップしてきた。2017年夏、レスターから移籍しようとしたのも、純粋なストライカーとして評価されていないと思ったからだった。
移籍はかなわなかった。だから今季は同じクラブで、いかにリセットできるかが課題になった。環境の変化という外圧に頼らず、進化を遂げるという挑戦。どう過去の自分を捨て、開き直れるか。鍵はやはり、気持ち。レスターで3年目の今季、1年目以上の覚悟と新鮮さを持ってスタートできた。半年がたち、移籍しなくてよかったという気持ちを今は抱いている。答えは一つではないとも。
挑戦とは、環境を変えることだけじゃない。とどまることもまた、挑戦なのだ。
08年北京五輪で1次リーグで敗れたとき、悔しさとともに「もっと強くなりたい」という思いを共有し、ヨーロッパの舞台を皆で目指した。あれから時は流れ、それぞれの歩む道に変化が生まれたと感じる。家族をつくり、立場も異なり、描く将来像にも違いがある。価値観の違いが明確になったのは、僕らが大人になったということなのだろう。
今の僕は、選手として生きることしか考えられない。引退後の人生設計やビジネスのことも眼中にない。現役である限り、サッカーのことだけを考えて突き詰めるのが願いだ。あと何回、移籍できるかわからないが、まだまだ、欧州でプレーし続けたい。