ジャンプ小林潤 26歳の中堅、目覚めた爆発力
平昌へ メダルへの道
眼前の雲が突然、開けた。スキー・ジャンプの小林潤志郎(26、雪印メグミルク)は昨年11月のワールドカップ(W杯)開幕戦で初優勝。平昌五輪のダークホースに躍り出た中堅ジャンパーは、上昇気流をつかんだ者が瞬く間に高みに上るジャンプの不思議を象徴する存在でもある。
20代前半で伸び悩み、「変えないと何も始まらない」と思えたことが転機だった。複合選手だった盛岡中央高時代に世界ジュニア選手権で優勝。東海大でジャンプに転向し、20歳でW杯に参戦した。だが、昨季まで62戦で10位台に6度つけながら1桁には食い込めない。安定感はそこそこでも「おっ」と思わせるものもない。「期待の若手」という声も次第に小さくなっていた。
葛西紀明、伊東大貴らベテランの壁を越えられぬまま、昨季は5歳下の弟、陵侑に押し出されるように遠征メンバーから長期間外れた。「練習では良くても結果が出ない」。平昌の切符すら危うくなって、悟った。「できないことをしよう、飛んでやろうとかいう気持ちが強すぎた」
スクワットなどのトレーニングで体つきも変わった。ただ、20代半ばにもなれば体力強化にも限界がある。その限界を受け入れ、背伸びをやめた。「練習でやったことしか出せない」と開き直ったことで、ジャンプの景色が変わった。
力みからテークオフで上半身が反り返る悪癖が改善され、「無駄な動きがなくなり、(踏み切りで)立つスピードが出た」と所属先の岡部孝信コーチ。鋭い飛び出しからスムーズに飛行姿勢が完成すると、「空中で伸びていける」と自負する後半の粘りも増していく。
予兆はあった。長野・白馬での夏の国際大会「グランプリ」で連勝。当時は「まだ高校の時の方がうまかった気がする」と話していたが、本人の自覚も及ばないところがジャンプの不思議さ。冬本番の結果がその覚醒を証明した。
ソチ五輪2冠のストッフ(ポーランド)、昨季の個人総合王者クラフト(オーストリア)を表彰台で段下に従えた初戦に続き、2戦目以降も10、4、7位。「1桁の壁」が崩れ、9戦続けて10位以内に名を刻んだ。
1月28日のポーランド・ザコパネ大会では11位に終わったものの、2回目には最長不倒の140メートル。小さくまとまっていたジャンパーは、風をつかめばどこまでも飛んでいきそうな爆発力を備え、平昌に乗り込む。
開幕まで1カ月半に迫った年の瀬に「求めているものはそろってないのに自分のイメージ以上に順位が出ちゃう。もっと飛べるのに、とも思う」と語った。さらなる高みは見えているが、かつてのような雑念は禁物。風に舞い上がった日の丸飛行隊「浮動のエース」を、心の調和が「不動のエース」にしてくれるはずである。(西堀卓司)