常に変化「求められる選手に」 横浜M・天野純(下)
生まれは神奈川県三浦市。小学生の頃から横浜Mの下部組織にいたが、直接トップチームに昇格できず、天野純は順大で大学サッカーを経験している。
Jクラブ育ちの英才に、大学の体力勝負はこたえたのでは? 「いえ、全然」。高3でユース監督の松橋力蔵(現トップコーチ)に心臓が破けそうなほど走らされていた。鍛錬のかいあって、いくら走っても平気の平左。持久力の数値は横浜Mの主力になったいまもチームで3番と下らない。
ボールを大事にする中村俊輔らがいなくなり、大幅に若返った昨季の横浜Mは堅守速攻のチームに変貌した。左右のウイングの斎藤学とマルティノスの個人技は特に目立ったが、彼らは前年まで中村と共演した選手たち。「俊輔後のマリノス」を性格づけたのは、新たに先発に列した天野だったといえる。プレースキックで中村の跡目を継いだ大卒のMFが、はっきりと先代に勝ったのがフリーランニングの能力だった。
「昔の自分は守備をしないオン・ザ・ボールの選手だった。でもプロになると戦えない王様は消えていく」。自分はもう若くない。多くの時間をベンチで過ごした入団後の3シーズンは取りかえしがつかないが、よそへ移籍するのも負けを認めるようで嫌だった。
辛抱の末に天野は悟る。「監督の求める選手にならないと先はない」
昨季開幕前、時の監督エリク・モンバエルツはイングランドの強豪マンチェスター・シティーの映像を天野に見せて「君はダビド・シルバだ」と言った。シティー所属のシルバは、ゴール前へ足まめに通いつめる小柄なテクニシャン。人を動かす中村とも違う、人に使役されるトップ下になれという注文だった。
よしきたと応じると、天野はむさぼるようにシルバの映像に親しんだ。いまではトラップもボールの持ち方もそっくりまねできる。そのうえ本物のシルバも目をむくほどよく走る。
中村という王将抜きのゲームが続くのは今季も変わらない。その空白は巨大だが、空白ができたから歩兵の天野はと金になれた。さらに今季は飛車角の斎藤、マルティノスもそれぞれ川崎、浦和に身を移した。盤上の駒不足を補おうと、新監督アンジェ・ポステコグルーは走力のある天野を存分に使役するだろう。
だが、どうやらこの駒には王将の才もある。もしも監督に「君はリオネル・メッシだ」と言われたら? 天野の答えは明快だった。「もちろん、メッシになりますよ」=敬称略
(阿刀田寛)
〔日本経済新聞夕刊1月30日掲載〕