俊輔に学び俊輔を継ぐ存在へ 横浜M・天野純(上)
サッカーシーズンを締めくくる元日の天皇杯決勝で、横浜Mは1-2でC大阪に退けられた。プレースキッカーを務めた天野純(26)は延長前半終了後の交代でピッチを後にした。1点を追う横浜Mの勝機はこれでほぼ消えた。
天野は前日から高熱を発していた。「90分は何とか持った」と医療スタッフの手当てに感謝したが、それも限界。入団4年目で初めて先発を全うした充実の1年は、惜しむらくはタイトルという成果を欠いた。
初めボランチ、次いで本職のトップ下。シーズン途中で仕事場は変わったが、磐田へ去った中村俊輔に代わるキッカーの仕事は変わらなかった。
中村と同じ左利きで、体を「く」の字にひねるキックフォームも相似たものだ。大概を控え組として過ごした3年間、穴のあくほど中村を観察した。中村がFKの手本を示した市販のDVDも買い求め、足首の角度などを模倣した。「憧れました。俊さんと話すことは、ほぼなかったけど」
細身ながら、球筋には伸びがある。「それと目がいいんだな、彼は」とはコーチの松橋力蔵の言。横浜Mユースにいた頃の天野がハーフウエーライン付近から何本もゴールを決めたのを、ユース監督だった松橋は覚えている。本人はキックの要諦を「弓矢を使うイメージ」と語る。「内転筋で蹴るキックじゃない。ボールに当てる時間を短く、振りを速くする」
2016年シーズン後、中村ら主力6人がクラブと折り合えずにごそっと抜けた。中村に代わる背番号10番と主将の任は元日本代表の斎藤学が引き受けた。だが斎藤は直線的なドリブラー。中村とはタイプが違う。セットプレーとゲームメークで希代のレフティーの"影武者"になれるのは天野しかいなかった。
昨季のJ1で5得点、チームは5位だった。スタメン1年生としては及第点といえるが、天野は浮かない顔だ。「低い下馬評は覆せた。でも優勝できなかったのは自分の力不足」。直接決めたFKは1点のみ。ミスターマリノスを継ぐ身には、それが悔しい。
天野のみならず昨季の横浜Mは多くのレフティーがピッチをにぎわした。扇原貴宏、山中亮輔、マルティノス。右利きの斎藤が膝を痛めて9月に戦線を離れると、彼らによる時計回りのボール運びが攻撃の基調となった。その渦の中心にいた天野は、心地よさとともに限界も感じたそうだ。
「相手に研究された。もっと自分が右足を使って変化をつけないと」。左で人目を引き、右で逆をつく。これも中村から学んだことである。=敬称略
(阿刀田寛)
〔日本経済新聞夕刊1月29日掲載〕