阪神と東日本、重ねる思い 阪神大震災23年
「あの日」をたどり、次代につないでいこう――。阪神大震災から23年となった17日午後。市民らは災害が突然奪っていく日常の大切さに思いをはせ、復興の歩みを東日本大震災の被災者らと共有する動きが広がった。
東日本大震災の発生時刻だった午後2時46分、追悼の竹灯籠が並べられた神戸市中央区の「人と防災未来センター」近く。宮城県名取市から訪れていた水道会社代表、長沼俊幸さん(55)が静かに黙とうをささげていた。津波で自宅兼事務所が流失。昨年、仮設住宅での暮らしを終えて新たな歩みを始めたばかりだ。
阪神大震災から23年をかけて立ち直ってきた神戸の街並みを眺め「全く新しい街に変わってしまうことを、人々はどう感じるか聞いてみたい」。津波の爪痕がようやく消えつつある名取市に重ね合わせ、復興の道筋への複雑な思いを吐露した。
大火が襲った神戸市長田区ではペットボトル灯籠が「1.17 ながた」の文字の形に並べられた。介護職員、松嶋美見さん(66)は同市灘区で亡くなった一人暮らしの父(当時86)を思いながら手を合わせ「同居しようと約束したところだったのに。悔しい気持ちは変わらない」と涙した。
女優の竹下景子さんが全国から寄せられた震災体験に基づく詩を朗読した兵庫県西宮市の市民会館には約850人が集った。神戸市須磨区の河野典子さん(63)は防災士の資格を持つ立場として「知識を伝えなければ」と決意を新たにした。
ゴスペル歌手、森祐理さんは当時、神戸市東灘区に下宿していた弟の渉さん(当時22)を亡くした。区内の教会で開いた追悼集会では市民らと賛美歌を歌い上げ「時が癒やすものではないが、弟の死があって今立つことができる」と前を向いた。〔共同〕