和歌山・熊野 獣防ぐ「猪垣」見応え(もっと関西)
とことんサーチ
古くから信仰を集める和歌山県の熊野山中。木々が生い茂る森林の中に、謎の石垣が残されている。その総延長は50キロメートルを超えるという。これほど巨大な遺構なのに、いつ誰が何のために造ったのか、はっきり分かっていないらしい。神々の地に出現したミステリースポットなのか。正体を探るべく和歌山県新宮市に向かった。
「ここを下りたら、ありますよ」。日中でもほとんど往来のない同市高森地区の山中。郷土史家、坂本顕一郎さんは未舗装の山道脇の森林を指さした。
「下りる」といっても獣道すら見当たらない急斜面だ。本当にこんな所に大規模な遺構があるのだろうか。坂本さんに続いておっかなびっくり、木の枝につかまりながら斜面を下る。うっかり足を滑らせると何メートルも転落しかねない。
20~30メートルほど下っただろうか。目の前に突然、古い石垣が現れた。高さは場所によってまちまちだが、おおむね1メートル前後。数十センチぐらいの大きさの石を積み重ね、木立の中を延々と続いている。自然石を積んでいるので城の石垣のように表面は滑らかではないが、かなり頑丈そうだ。
なにより立つのもやっとの急斜面に、何十メートルにもわたって石が積み上げられていることに驚く。重機や自動車もない時代、想像を超える労力が必要だったに違いない。一体、誰が何のために造ったのだろう。
インターネットにもあまり記述はないが、書籍を調べてみると、様々な説が唱えられていることが分かった。「熊野の神域を守るための防壁」「秦の始皇帝の命令で中国から日本に来た渡来人が万里の長城をまねて造った」――。なかなかミステリアスな遺構のようで好奇心が刺激される。
新宮市文化財保護審議会委員の山本殖生さんを訪ねた。山本さんは1980年代に地元有志と数年かけて熊野の石垣を調査したことがあるという。「この遺構は『猪垣(ししがき)』と呼ばれ、地元の住民が農作物をイノシシや鹿などの獣から守るために造ったものでしょう」と教えてくれた。
古代のミステリースポットではないのか。「文献があまり残っておらず、確定的なことが言えないので、一部の人が宗教絡みでいろいろ面白おかしく書いたこともありました」と山本さんは苦笑する。
様々な説はあるものの、石垣の正体は「地元住民が獣対策で長い年月をかけて造った」という説が有力のようだ。奈良大学名誉教授の高橋春成さんも獣対策説に同意する。「そもそも猪垣は全国各地に残っており、いずれも農作物を守るために造られたとみられる」と話す。
少年の頃、古代の超文明伝説などに胸を躍らせた記者としては、残念な気もしないではない。ただ高橋さんは「これほど大規模な建造物を造り上げた庶民の力にもっと注目すべきだ」と力を込める。
確かに平地だろうが急斜面だろうがお構いなしに造られた石垣は壮観だった。超文明の遺構でなくても十分見応えがあるのは間違いない。特に熊野の猪垣は「長野や小豆島などと並んで、全国的にみても規模が大きい」(高橋さん)という。
だが熊野の猪垣はあまり有名とは言えない。地元の地図や観光案内にも見当たらないし、標識なども設けられていない。もっとPRすれば、歴史ファンなどを呼び込めるのではないか。山本さんも「猪垣を観光に生かすのが課題だ」と強調する。
猪垣の知名度向上へ高橋さんや山本さんらは12月9~11日、新宮市周辺で「シシ垣サミット」を開く。猪垣の研究者ら約20人が集まり、パネル討論を開催するほか、新宮市や那智勝浦町などの猪垣を見学する。一般の人も参加でき、既に見学への申し込みも来ているという。山本さんは「サミットで猪垣をアピールしたい」と意気込む。
世界遺産に選ばれた熊野古道など神秘的な見どころが多い紀南地方。猪垣が有名になり、観光ルートが整備されれば、また一つ新たな見どころが増えそうだ。
(和歌山支局長 細川博史)