サッカー日本、ここから本当の戦いが始まる
サッカージャーナリスト 大住良之
バヒド・ハリルホジッチ監督率いるサッカーの日本代表は9月5日夜(日本時間6日未明)のサウジアラビア戦を0-1の敗戦で終え、来年6月にロシアで開催されるワールドカップのアジア予選全日程を終了した。
気温32度、湿度76%というジッダでの過酷なコンディションにもかかわらず日本は果敢な戦いでスタートしたが、20分を過ぎたころから極端に動きが落ち、相手との間合いが空いてサウジ攻撃陣のテクニックを止めることができなくなった。そうした中で63分に1点を許し、それを取り戻すことができなかった。
前任者のハビエル・アギーレ監督の契約解除に伴いハリルホジッチ監督が就任したのが2015年3月。アジア2次予選が始まったのが3カ月後の6月。約1カ月間チームがともに過ごし、最多で6試合をこなすことができるアジアカップ(15年1月、オーストラリア)後の監督交代であったことは、選手の見極めや戦術の浸透、さらには選手との相互理解など、新監督にとって多くの面でハンディとなった。
欧州組を招集できなかった15年8月の東アジアカップ(中国・武漢)を除けば、ハリルホジッチ監督が選手と過ごしたのは、各活動最長10日間の「インターナショナル・マッチデー」が2年半で13回。それぞれのマッチデーには2試合が行われ、さらに試合前日と翌日の調整日、試合間の移動日などを引くと、しっかりとしたトレーニングができたのは毎回数日間。2年半で延べ50日程度ということになる。
そうした難しい状況に加え、昨年9月に最終予選がスタートしたときには自らの選手選考ミスでコンディションの整わない選手を送り出してしまい、アラブ首長国連邦(UAE)に1-2で敗れて苦しい状況に追い込まれた。しかし昨年11月のサウジ戦(埼玉スタジアム)、今年3月のUAE戦(アルアイン)、そして8月31日のオーストラリア戦(埼スタ)と、絶対に勝たなければならない勝負どころで思い切った采配をみせ、いずれも会心の勝利を得た。
サウジ戦ではMF本田圭佑、香川真司、FW岡崎慎司をベンチに置いてFW久保裕也、FW大迫勇也を先発させて最終予選に入って初めての「強さ」をみせて勝利。UAE戦では34歳のMF今野泰幸を2年ぶりに招集してフル出場させ、貴重なアウェー勝利を呼び込んだ。そしてオーストラリア戦では、21歳のMF井手口陽介の起用が快勝の決定的要素となった。
■日本代表、新しいスタイルに変質
これらの試合は「世代交代」と表現されるが、2年半の変化の本質は本田、香川、岡崎らに代わって大迫、久保、FW原口元気らが攻撃の中心になったということではない。サッカー自体が完全に別のものに変わったのだ。
今世紀に入ってからの日本代表のサッカーのスタイルはほぼ一定していた。日本人の長所を生かそうというスタイルは、フィリップ・トルシエ監督(1998~02年)以後、アルベルト・ザッケローニ監督(10~14年)までの歴代監督のすべてで共通していたといっていい。パスワークで試合を支配し、コンビネーションプレーで突破して得点を狙うというサッカーだ。
残念ながらすべての時代のデータがそろっているわけではないが、イビチャ・オシム監督時代(06~07年)には、1試合の平均パス数566本、成功率は80%だった。岡田武史監督時代(08~10年)になってからパス数は460本程度となったが、成功率は引き続き80%を超していた(ただし守備的な戦いを余儀なくされた10年ワールドカップで1試合90分間の平均パス数384本、成功率は63%だった)。
ザッケローニ監督時代は本田、香川、岡崎が攻撃陣に定着し、この「日本スタイル」の絶頂期だった。14年ワールドカップでは1分け2敗と苦戦したが、それでも3試合を平均したパス数は545本、成功率78%だった。1-4で敗れたコロンビア戦も、ボール支配では日本のほうが大きく勝り、56%という数字を残した。
だがハリルホジッチ監督はドイツ(10年から優勝した14年にかけて、パス数は23%増しの1試合平均663本となり、成功率も72%から82%へと急上昇した)を除けば、時代の趨勢である「縦に速いサッカー」を志向、ボールを奪ったら時間をかけずに前に出ることを求めた。1年目は以前のスタイルとこの新しいスタイルへのトライの間で混乱もあったが、16年は主力のコンディション悪化に注目が集まり、そうしたテーマは話題に上らなくなっていた。
だがまさに命運をかけた8月末のオーストラリア戦で、「ハリルホジッチ・スタイル」はいきなり開花した。アジアサッカー連盟(AFC)の公式サイトに掲載されたデータによれば、この試合の日本の総パス数はわずか305本、成功率は70.8%と低く、ボール支配にいたっては33.5%(相手は66.5%)と、ほぼ一方的だった。
しかし試合内容を見れば、後半、押し込まれた時間はあったものの、日本は落ち着きを失わず、ほぼ90分間試合をコントロール下に置いた。18本のシュート(うちエリア内から9本、枠内に飛んだもの5本)、相手のオーストラリアをシュート5本(エリア内1本、枠内1本)に抑え、圧倒的内容で2-0の勝利をつかんだ。
ハリルホジッチ監督が強調してきた「デュエル(1対1の戦い)」でも、勝率53.4%と相手を上回り、驚くべきことにオーストラリアを相手に空中戦でも57.7%の勝率を記録した。これにインターセプト数32(相手は12)というデータを加えれば、ただオーストラリアに初めてワールドカップ予選で勝ったという事実だけでなく、日本代表のサッカーがまったく新しいスタイルに変質した歴史的な試合であったことがわかるだろう。
従来の「日本スタイル」が間違っていたという意味ではない。日々進歩する世界のサッカーの中で上位に行く可能性のあるスタイルとしてハリルホジッチ監督が提示し、選手たちに求め続けてきたのがこのサッカーだった。それを過去2年半で最も重要な試合で実現したことこそ、ハリルホジッチ監督の真の勝利だった。
本田や香川も、そうしたサッカーに適応することさえできれば、来年のワールドカップまでに十分ポジションを取り戻す可能性がある。来年誰がプレーするか、まったくわからない。一つだけ確かなことは、9月5日のサウジアラビア戦のような特殊なコンディション下の試合を除けば、日本代表が以前のスタイルに戻ることはないということだ。そして日本代表の新スタイルは、今後の日本のサッカーに小さからぬ影響を与えるだろう。
だが、戦いが終わったわけではない。
■同じ過ちを繰り返してはいけない
期待を抱かれながら力を出し切れずに敗退してファンを大きな失望に陥れた06年と14年のワールドカップでの失敗を繰り返してはいけない。
この両大会での最大の問題は選手たちにあった。予選突破まではチームが結束し、誰もがチーム第一の考えを持っていた。しかしワールドカップ出場が決まると、「自分を売り込むチャンス」と言わんばかりの行動に変わってしまった。そして何となく「勝てるだろう」という雰囲気の中で大会に入り、手痛いしっぺ返しを食らった。
そして両大会には、もう一つ見逃せない敗因があった。日本サッカー協会(JFA)の準備態勢だ。選手たちと同様、予選突破までは純粋に勝つためだけを考えた準備をしてきた。しかし大会を前にすると、いかにこのワールドカップを利用するかというさまざまな企画にのみ込まれた。
06年大会前には開校したばかりの「JFAアカデミー」の少年たちにトレーニングを見せるためだけにJヴィレッジ(福島県)でのトレーニング合宿を行い、連日2万人ものファンの前で集中力のないトレーニングをしてしまった。さらには、百害あって一利なしのドイツとのトレーニングマッチを相手協会からの延期要請をけって強行し、選手たちを勘違いさせてしまった。
14年大会では蒸し暑いレシフェ、ナタル、クイアバで試合をするにもかかわらず、冷涼なイトゥでの合宿(大会中滞在)を強行した。関係があるかどうかわからないが、イトゥには日本代表のメインスポンサーの工場があった。
どんな監督でも、選手や協会がワールドカップで勝つことに集中していない状態で勝てるわけがない。06年大会のジーコ監督も14年大会のザッケローニ監督も大会後に大きな批判にさらされたが、私は2人とも「犠牲者」だと考えている。
同じ過ちを繰り返してはいけない。すでに繰り返してしまったのだから、「3回目」があってはならない。ハリルホジッチ監督には、9カ月後のワールドカップ前にまだまだ難しい「戦い」が待っている。そしてそれこそが「本当の戦い」になる。