「今度こそピッチに」挑戦続く 菊池康平(下)
元海外プロサッカー選手
2005年春、菊池康平は明大を卒業し、人材派遣会社パソナに入社した。学生時代の夢とは決別し、その情熱を会社員人生へ――。とはならなかった。
社会人になっても、夏休みや年末の休みには、ブルネイ、ベトナム、マカオなど、サッカークラブを求めて海外に渡航した。ただし今度は時間がない。現地滞在が数日では「道場破り」どころか、チームの所在地を調べるだけで終わることもあった。
仕事は忙しかったが順調だった。これだけ海外で無鉄砲な挑戦を続けていれば、営業能力は磨かれる。だが時間が欲しい。入社4年目、とうとう会社を1年間休職した。
■一度だけだったプロ契約
今度は挑戦の地に南米を選んだ。「サッカー選手としては平凡な能力しかない」と自覚している菊池にとって、武器は身長185センチの高さと走り続ける体力となる。南米なら自分の長所が生かせるのではという計算もあった。
最初のパラグアイはだめだったが、次のボリビアでついに州の1部リーグのクラブと契約にこぎつけた。「FWではなくDFとしてプレーしたら、クラブの会長が見ている前で、びっくりするほど良いプレーができた」。標高3500メートルという過酷な状況も体力自慢の味方になったという。
海外でのプロ契約を目指して8年目、ついに夢を実現した。月給は100ドルほど。だが、公式戦に出場することはなかった。
実力不足というよりも、選手登録手続きの不備などさまざまなハードルがあった。「ロッカー施設などとてもプロとはいえない環境。珍しいアジアからの選手としてチームメートからの差別などもありました。でも貴重な経験をしたと思っています」
菊池は14年6月、パソナを退社した。ボリビアから戻って復職したが、また挑戦したいという気持ちが抑えられなくなったのだ。
今度はラオス、インドと渡った。だが、ラオスでは犬にかまれて狂犬病の予防接種のために緊急帰国。インドではダニにかまれたのが原因と見られる高熱に苦しんだ。
現在、菊池は組織に属さず、フリーでさまざまな活動をしている。「自分の経験を伝えることで、チャレンジする人を勇気づけられたらうれしい」。講演や執筆活動。日本サッカー協会(JFA)が新旧のアスリートたちを主に小学校に派遣する「夢先生」の一員でもある。今年4月からは専門学校で「スポーツキャリア論」の授業も受け持つ。
フットボーラーとしても現役だ。今年はブラジル代表ネイマールが考案したミニサッカーの大会「ネイマール・ジュニア・ファイブ」に、自ら幹事として結成したチームで出場。国内予選を勝ち抜いて、7月にブラジルで開催される世界大会への出場を決めた。「初めて日本の代表として試合ができる。人生が変わるくらいの成績を残したい」。夢を追う挑戦は終わらない。=敬称略
〔日本経済新聞夕刊6月14日掲載〕