日本のアスリート底上げに寄与 マルセル・フグ(下)
車いすマラソン
スイス出身のマルセル・フグは、日本と深いつながりがある。オーエックス(OX)エンジニアリング(千葉市)が作る日本製の競技用車いす(レーサー)を使い続けているのだ。
従業員40人ほどの小さな車いすメーカー、OXとフグとの蜜月が始まったのは2004年。アテネ・パラリンピックで、まだ海外選手に浸透していなかったOX製にフグが乗っていた。OXの小沢徹は「18歳と若いし、見るからに今後強くなるであろうこぎ方をしていた」とフグを見初める。閉会式の日に声をかけ、レーサーの提供を申し出た。慧眼(けいがん)は見事にあたった。
■「僕が若い時から信じてくれた」
以来、春に新しいレーサーのオーダーが来て製造にとりかかり、秋に渡すのが恒例になった。欧米メーカーと争奪戦になってもおかしくないが、フグは「僕が若い時から信じてくれたし、品質がいい。毎年、新しい開発をしてくれる」とOXから浮気はしない。
フグの注文は「普通の選手に比べ、寸法の指定が1.5倍あるくらい細かい」と小沢。世界の頂点に立つアスリートだからこそわかる微妙な差異を実現しようとすることで、OXの技術力も上がる。新製品に反映されて「いいレーサーができ、それを使った日本人が結果を出すのを望んでいる」と小沢は話す。
日本人アスリートの底上げにフグが貢献しているのは車いすだけではない。毎年秋にある「大分国際車いすマラソン」にフグは05年から毎年参加し、10年から6連覇を達成した。それゆえ「打倒フグ」を合言葉に日本の有力選手がすべて参集し、世界を体感できる強化の場となっている。
ただ当のフグに一役買っている意識はない。翌週にメジャー大会のニューヨークマラソンが控える忙しいスケジュールを縫ってまでローカル大会の大分に来るのは、OXから新しいレーサーを受け取るのに加え、「大分が世界で最も速いコースの一つだから」だ。
車いすマラソンの世界記録は、18年前に大分でフグの敬愛するハインツ・フライ(スイス)が出した1時間20分14秒。パラリンピックでの金メダルという「究極のゴール」を達成した後の目標を「世界記録を破ること」とフグは公言しており、フラットで直線的な大分は魅力的だ。記録を目指す走りが、日本選手のレベルも引き上げる。
今年2月の東京マラソンの結果が象徴的だった。「シーズン初期でトレーニングを始めたばかりだった」というフグとのスプリントに勝って優勝したのは渡辺勝(25)。3位にも鈴木朋樹(22)が入った。いずれもパラ陸上期待の若手で、フグ同様、トラック種目もこなして強化をしてきた。しかも、車いすは2人ともOX製を使っている。
2020年。そんな日本の「フグチルドレン」とフグとの激しいマッチレースは、間違いなく東京パラリンピックのハイライトになる。(敬称略)
〔日本経済新聞夕刊5月17日掲載〕