樋口広太郎(30)個性・情報・夢を大切に
未来をひらく 個性・情報・夢を大切に 済んだ事はくよくよせず
小泉純一郎首相の要請を受けて、このたび、内閣特別顧問として日本の構造改革のお手伝いを始めました。小渕首相の時に経済戦略会議の議長を引き受けて提言をまとめたこともありますので、日本経済再建の仕事には何かと縁があります。今回は自由な立場からアイデアや情報を首相に伝えるのが私の役目です。
依然として重しとなって残る不良債権問題。米国のIT(情報技術)バブルの崩壊を引き金とする景気の悪化。それに追い打ちをかけるような米国に対する大規模テロによる世界経済の混迷と、悪条件がいくつも重なり、前途はまさに不透明です。
しかし私は、問題が複雑で難しいほど闘志が湧いてくる性格です。思えば、業績がどん底状態にあったアサヒビールに来た時も、別に成算があったわけではありません。容易ならざる状態にあることを承知のうえで来ました。当時はただこの挑戦の機会に全力を挙げてぶつかろうと思っただけです。
日本はいま非常に厳しい局面にありますが、私は楽観しています。消極的に見ればお先真っ暗ですが、そこにも必ずチャンスはあるのです。「日本経済はいま、"海図なき新たな航海"に旅立とうとしている。しかし、その眼前に広がる光景は決して暗黒の海ではなく、希望と活力に満ちた輝かしい未来である」。委員の皆さんと一緒にまとめた経済戦略会議の最終答申の一節です。
明るい未来を開くために、私たち一人一人が努力する必要があります。それには3つの重要なことがあると思います。
まず「オリジナリティー」が欠かせません。横並びの発想や模倣などでは、他人の後追いに終わります。「みんなで渡れば怖くない」というブラックユーモアがありますが、そんなことをしていたら、いまやみんなまとめて交通事故にあう恐れがあります。これからは個性、独創性が不可欠で、それは自分で考えることから生まれます。
ノーベル賞を受賞された福井謙一先生と新幹線でご一緒した時のことです。首に空気まくらを付けてシートにもたれて本を読んでいる私を、先生がじっと見て考え込んでおられるのに気付きました。私も逆に先生が気になりだして、どうされたのか聞いてみました。すると先生は私の首に付けた空気まくらを指さして、「樋口さんの首に付けているものは一体何だろうと考えていたんですよ」とおっしゃるんです。
「聞いてくださればよろしいのに」と申し上げると、「聞くのは簡単ですが、自分の頭であれこれ考えるのがいいんです」と答えられました。また先生は東京では皇居の周りを歩くことを日課にしておられました。歩きながら、一つのことをずっと考え抜くのだそうです。そうすると自分の考えがはっきりしてくるとおっしゃっていました。こうした姿勢から独創的な研究業績が生まれたのでしょう。いまや何事も前例にとらわれず自分の頭で考えて、個性を発揮する時代です。
もう一つ「情報」の扱い方がカギになります。IT革命の進展により、インターネットや携帯電話などの情報通信技術が発達して、大量の情報を瞬時にやり取りできるようになりました。しかし私たちは本当に必要な情報をタイミングよく手に入れているでしょうか。どうも玉石混交の情報の洪水に流されているように思えてなりません。情報という字は誰が考えたか知りませんが、「情けに報いる」と書きます。確かな情報を得るためには、心のつながったよい友達をたくさん持つことが肝心です。「これは誰それに聞けばよい」という情報のネットワークを広く張り巡らせば、鮮度の高い生きた情報が得られます。
最後にやはり「夢」が必要です。夢や希望が無くては、意欲は湧いてきません。こんな国にしたい、こんなことを実現したいという夢が、国民のエネルギーの源になり、国を発展させる原動力になるのです。夢のない国は世界に存在する価値が無いと言われても仕方がないと思います。
企業も同じです。社員は本来みな、いい仕事がしたいと思っているはずです。少なくとも入社した時はそうでしょう。ところがその夢を会社がつぶす場合が往々にしてあります。アサヒビールの社長になった私は、いたずらに「厳しいぞ」とは言いませんでした。経営者がそんなことばかり言っていたら、夢も希望もありません。私は「みんなでいい会社にしようじゃないか」と呼び掛けました。幸いアサヒの社員は猛烈に明るく、あの苦しい時期にも希望を失っていなかったので、皆も私も救われました。
夢は一人一人が自分でつくるものです。借り物ではダメです。どんな夢を持つのか、それはまさに自分を知ることでもあります。「私は普通の人間だから」と最初からあきらめてしまう人は、自分を粗末にしているのです。自分は何者なのか、何に興味があるのか、何をしたいのか、知ろうともしない人が少なくありません。自分に対する好奇心が欠けているのです。
何事にもおう盛な好奇心を持つことが大切です。それが夢の源泉であり、よく生きようとする意志なのです。
ブラジルのマナウスで、100年前に建てられた立派なオペラハウスを見た晩、感激がまださめやらぬ中で、作曲家の三枝成彰さんと食事をしていた時です。私が死んだ時に流す曲は何がいいだろうかと聞いてみました。「その時は樋口さんのレクイエム(鎮魂曲)を作曲しますよ」と言ってくださったので、私は即座に「死んでからではどんな曲かわからない。いますぐ作ってください」とお願いしました。「生きている人のレクイエムなんて変わっていますね」と三枝さんはびっくりしていました。私は何でも知りたがり、死んだ先のことまで知りたいのです。
日本語によるレクイエムはいまだなかったので、作家の曽野綾子さんに作詞をお願いしました。曽野さんは喜んで引き受けてくださり、素晴らしい作品ができあがりました。私は既に4回コンサートで聴きましたが、まだ何度でも聴きたい美しい曲です。レクイエムを聴いて心が洗われ、元気をもらいました。
名優チャップリンは晩年に、「あなたの傑作は」と聞かれて、「次の作品です」と答えたそうです。すさまじいまでの気力が伝わってくる言葉です。私もこれからまだまだ人間を磨かなければなりませんから、明るく元気に生きていきたいと願っています。